大学礼拝「わたしの中のヘロデ」2020/1/7
【マタイによる福音書2:16】
2:16 さて、ヘロデは占星術の学者たちにだまされたと知って、大いに怒った。そして、人を送り、学者たちに確かめておいた時期に基づいて、ベツレヘムとその周辺一帯にいた二歳以下の男の子を、一人残らず殺させた。
あけましておめでとうございます。皆さんはどんな思いで新年を迎えましたか。「1年の計は元旦にあり」ということわざもありますが、「きっと今年こそは」と実行計画を心に決めた人もいることでしょう。不言実行でスタートするのもいいかもしれません。
占星術の学者たちが帰って行くと、主の天使が夢でヨセフに現れて言った。「起きて、子供とその母親を連れて、エジプトに逃げ、わたしが告げるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが、この子を探し出して殺そうとしている。(マタイ2:13)
今日は「わたしの中のヘロデ」という題でお話したいと思います。
ヘロデは極悪非道のヘロデ大王として知られています。彼はローマ帝国がパレスティナを占領した当初はガリラヤ地方の知事でしたがBC37年ごろユダ、ガリラヤ、サマリヤ、ヨルダン川東側地域の王になりました。イエスさまがお生まれになった時は王でしたが、イエスさまがエジプトに逃避しておられた時に死んでいます。(BC4年)
星に導かれて東方の占星術の学者たちがエルサレムに到着し、まず最初に訪ねたのがヘロデ大王の宮殿でした。ユダヤ人の王としてお生まれた方は当然王宮にいると考えたからです。しかし、現実はそうではありませんでした。
ヘロデはメシアとしてイエスさまがユダヤ人の王が生まれたことを知りませんでしたので、早速、祭司長たちや律法学者たちを呼び寄せて詳しく調べさせ、それがベツレヘムの地であることを知り、学者たちを先に行かせ、生まれた場所がわかったら、自分も拝みに行くから、帰りに寄って状況を詳しく知らせるようにと学者たちに伝言します。しかし、学者たちはメシアである幼子を拝んだのち、夢でヘロデのところに寄るなとのお告げを受けたので、ヘロデのところには寄らず帰国してしまいました。
学者たちに騙されたことを知ったヘロデは、大いに怒って、その地方に生まれた2歳以下の男の子を虐殺するという恐ろしいことを断行したのです。
そのとき、主の天使が夢でヨセフに現れ、マリアとイエスさまを連れて、エジプトへ逃れるよう伝えました。イエスさまはヘロデの毒牙を逃れ、ヨセフとマリアに守られながらエジプトへと逃避行されたのです。
さて、2歳以下の男の子を虐殺するという恐ろしいことを断行したヘロデとは一体どんな人物だったのでしょうか。神経過敏で偏執狂的な人物でした。一人の幼子の誕生が、彼をここまで恐怖に落とし入れたのは、衰えつつあった権力支配の座を、ひょっとしたらこの幼子に奪われるのではないだろうかと危うんだからにほかなりません。自分の地位を何が何でも守ろうとする、みじめな自己保身の姿をさらけ出した行動でした。どうすることもできない自分の運命に対する、暴力による最後の悪あがきでした。彼の怒りは自分の思い通りにいかなかったことに対してでもありました。占星術の学者たちに裏切られたという苦々しい思い、自分は絶対であり、誰もが自分の言うことには当然聞き従うに決まっていると思い込んでいた奢り、思い上がりが、彼の怒りを爆発させ、奇行へと走らせたのです。
皮肉なことですが、ヘロデの絶望による言動は、イエスさまによる希望と自由をもたらす新しい時代を到来させました。イエスさまの到来は闇の力、罪の支配のもとにある悪の力が衰退していくことを指し示すものでした。
今日の社会の中におけるヘロデ、わたしの中のヘロデとは何でしょうか。
日本でも法の下に公然となされる死刑執行、妊娠中絶、安楽死、性的不品行、蔓延している汚職のなどの闇の業は、まさにヘロデの業です。これらの闇の業、ヘロデの業が勝利している、勝っているようにさえ見えることが多い現実の社会です。仕方がない、諦めるしかないとわたしの中のヘロデを肯定して、希望を捨てかけてはいないでしょうか。自分の我を通すために、大切な人を無視したり、軽蔑したりしていないでしょうか。ひょっとしたら、知らず知らずのうちに、人を窮地に陥れてはいないでしょうか。
あの残虐極まりないヘロデが、今、わたしの中で生きて働いていることに気づくことが重要です。そんなヘロデもまだほんの幼子に過ぎなかったイエスさまの光によって、その心が恐怖でいっぱいになったのです。イエスさまはわたしの中のヘロデに気づかせ、新しく立ち上がり、再出発する力をくださいます。
幼子イエスさまはわたしたちの周囲にいます。皆さんが実習に行ったり、職場として働く保育の場、幼稚園、子ども園、保育園などの幼児の中に幼子イエスさまはいらっしゃいます。わたしの中のヘロデに気づきを与えてくれる存在、それが幼児たちです。幼子から学ぶ姿勢を常に忘れずに進んで行ってください。(チャプレン大西 修)