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11月中旬から2週間にわたって行われた、1年生の幼稚園や子ども園での教育実習、2年生の保育園での保育実習が終わり一息ついたところですね。どうでしたか。とても長く感じた。楽しくて短く感じた、もっと続けたかった。思ったようにいかなくて、自信をなくしそう、しんどかった。子どもたち、先生方、保護者の方とのコミュニケ―ションがとても難しかった。ピアノがうまく弾けなかった等々、たくさんの感想、そして反省点が見つかったのではないでしょうか。その貴重な経験をプラスに考えて次の機会に生かしてください。2年生は4月から現場の保育士、幼稚園教諭としての働きが始まります。残された4か月を大切に準備の時として有意義に過ごしてください。

さて、キリスト教の教会には教会暦というカレンダーがあります。このカレンダーはクリスチャンの生活にとって大切なものです。なぜなら教会暦というカレンダーに従ってクリスチャンは1年を過ごすからです。このカレンダーの中で皆さんがよく知っているものがあります。12月25日のクリスマスイエス・キリストのお誕生を祝う日)、復活日(イエス・キリストの復活を祝う日、3月21日以後の満月の後の最初の日曜日)、キリスト教と関係なく日本で有名になった2月14日の聖バレンタイン日(バレンタインデー)、母の日(5月の第2日曜日)など、そのほかにもたくさんあります。

教会暦はクリスマスと復活日を軸にして、1年間に約50ある主日(日曜日)で組み立てられています。

教会暦のお正月(新年)は今年で言うと12月1日(クリスマス前の4つ目の主日~降臨節第1主日~)です。残る3つの日曜日(12/8、12/15、12/22)を経て、クリスマスを迎えます。言い換えると、教会暦はクリスマスを迎える準備の時から始まります。この4週間をアドベント(降臨節、降待節)とも言います。アドベントとは「来る、接近する」という意味のラテン語です。クリスマスは言うまでもなく神の御子イエスがキリスト(救世主、救い主)として、人類に平和をもたらすためにお生まれになったことを喜び祝う日です。

素晴らしい日を迎えるためには準備が必要です。ですから、クリスマスを本当に素晴らしい日として迎えるために、わたしたちがなすべき準備は、心をきれいにすること、悔い改めることです。神さまの前に自分の罪を告白し、それを赦していただき、自己中心的な生き方から、他の人々にも思いを寄せる生き方へと変えていただくのです。そうすることによって、心が美しくなり、クリスマスがもっともっと素晴らしい日になります。教会ではこの準備の期節に祭色として紫色を使います。祭壇や説教壇にかけられている聖布、聖職が着る祭服やストールも紫色です。紫は慎み、悔い改め、懺悔などを表わす色です。そしてこの4週間は祭壇に花を飾りません。クリスマスに心から大きな喜びを表わすための準備の時をそのようにして過ごします。クリスマスは勝利と祝福と喜びを表す白の祭色を用い、きれいな花を飾ってお祝いします。復活日はキリスト教での最大のお祝いの日ですから、祭色は勝利と祝福と純潔と喜びを表す白、花は復活のシンボルである百合の花を飾ることが多いです。

この復活日を迎える準備の期節を教会暦では大斎節(受難節、四旬節)~レント~と呼んでいます。やはり祭色は紫を用います。イエスが捕らえられ、鞭うたれ、十字架につけられた出来事(聖金曜日、受苦日)もこの時にあたりますが、この日の祭色は血の色である赤を用います。

ところで今、花屋や街のあちこちに真っ赤なポインセチアが美しく飾られています。ポインセチアは日の光を受けて成長しますが、昼間12時間は明るい所で、そして夜間12時間は真っ暗なところで1か月間を過ごすことによって、あのように目の覚めるような赤い色になるのです。何気なく見ていますが、そのように目に見えない大変な準備の時があって、あのようにきれいな赤になるのです。

わたしたちの生活もしっかり準備され、計画されたカレンダーがある時、人生の実りある結果を手にすることができます。教会暦というカレンダーは、わたしたちが何を目標に歩んで行けばよいのかという指標を与えてくれるものです。そしてなぜ生きるのか、生きる意味は一体なんなのかを、絶えず考えさせてくれるものです。

皆さんはどんな暦(カレンダー)に従って日々の生活をしていますか。(チャプレン大西 修)


創立記念講演会

イエスの誕生が羊飼いに告げられるという、実に美しい物語が今回の聖書には記されています。「この世界で羊飼いの地位ほど、軽蔑されているものはない」という、当時のラビ(=ユダヤ教の教師)の言葉が残っているそうで、それくらいに下に見られていた人々が聖書に登場するだけでも美しいのに…。

さて、この聖書箇所にかけて「あの鐘を鳴らすのはあなた」と解く、そのココロは?(笑)

この名曲に込められた人生への思いを深く黙想できるような、そんなひた向きな人になってもらい、子どもたちの未来を託したい…。

柳城生の皆さん‼
礼拝、お待ちしています(^_^)/

✝ ✝ ✝

●日時:12月10日(火)
3限 13:10~:保育科1、2年CDクラス、保育専攻科、教職員
4限 14:50~:保育科1、2年ABクラス、保育専攻科、教職員
●場所:体育館
●説教:大西チャプレン
●テーマ:「あの鐘を鳴らすのはあなた」
聖書箇所:【ルカによる福音書2:8-15】
◆羊飼いと天使
2:8 その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。
2:9 すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。
2:10 天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。
2:11 今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。
2:12 あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」
2:13 すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。
2:14 「いと高きところには栄光、神にあれ、/地には平和、御心に適う人にあれ。」
2:15 天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合った。

次回以降の予定
・12/18(水)クリスマス礼拝(体育館)
・1/7(水)通常礼拝(チャペル)【通常礼拝最終】

今年の教会歴では12/1(日)から24(火)までがアドベントです。アドベントとは「到来」を意味するラテン語に由来する言葉で、イエス・キリストの誕生を待ち望む期間のことを言います。日本語では降臨節(聖公会)とか待降節(カトリックなど)と訳されています。よって、アドベントが終わった次の25日(教会歴では24日の日没から25日の日没まで)がクリスマス(=イエス・キリストの誕生を祝う祭りの日)、クリスマス・イヴは24日の日没から25日の明け方までということになります。

現代の私たちはイエス・キリストが生まれた歴史的事実を前提に、クリスマスを心待ちしてアドベントを過ごしますが、イエスの親であるヨセフとマリアはどうだったのでしょうか。天使のお告げを信じて希望を抱いたには違いないでしょうが、不安と戸惑いはぬぐい切れなかったかもしれません。

そんな、ごく庶民的であった両親の気持ちを想像しながらアドベントを過ごすのも、イエスを深く知る一つの方法かもしれません。

礼拝、お待ちしています(^_^)/

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●日時:12月3日(火)
3限 13:10~:保育科1、2年CDクラス、保育専攻科、教職員
4限 14:50~:保育科1、2年ABクラス、保育専攻科、教職員
●場所:チャペル
●説教:大西チャプレン
●テーマ:アドベント(降臨節・待降節)について
聖書箇所:【マタイによる福音書1:18—25】
◆イエス・キリストの誕生
1:18 イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった。
1:19 夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した。
1:20 このように考えていると、主の天使が夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。
1:21 マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」
1:22 このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。
1:23 「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。
1:24 ヨセフは眠りから覚めると、主の天使が命じたとおり、妻を迎え入れ、
1:25 男の子が生まれるまでマリアと関係することはなかった。そして、その子をイエスと名付けた。

礼拝中に12月の誕生日の祈りがあります。
16:30よりXmasツリー点灯式を1号館玄関で行います。こちらもご参加ください。

次回以降の予定
・12/10(火)通常礼拝(体育館)説教:大西チャプレン
・12/18(水)クリスマス礼拝(体育館)
・1/7(水)通常礼拝(チャペル)【通常礼拝最終】

「御覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするためにと定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。 あなた自身も剣で心を刺し貫かれます。多くの人の心にある思いがあらわにされるためです。」(ルカ:2:34~35)

今回は、ご降誕物語に引き続き、神殿で行われたイエスの奉献にまつわる記事です。

イエスがお生まれになった40日後、当時の律法の定めに従って(出エジプト13:2)初子を聖別するために、ヨセフとマリアはイエスを抱いてエルサレムの神殿へと向かいました。

そこで二人は年老いた預言者シメオンに出会います。彼は「この人は正しい人で信仰があつく、イスラエルの慰められるのを待ち望み、聖霊が彼にとどまっていた。」(ルカ2:25)と記されるほどの人物でした。

イエスを見て、「この赤子こそキリスト!」と確信したシメオンは、幼子を抱きながら神をたたえたのでした(ルカ2:28)。

このシメオンの賛歌には二つの預言が語られています。

一つ目は「これは万民のために整えてくださった救いで、異邦人を照らす啓示の光、あなたの民イスラエルの誉れです。」(ルカ2:31,32)とあるように、イエス・キリストの誕生によって、すべての民が、神の救いを仰ぐことができるようになるという預言です。当時のユダヤではユダヤ人が救われるだけが重要でした。しかしシメオンは、ユダヤ人のみならず、闇にいる全世界の人々がイエス・キリストという光を知り、イエスを通して神に救われるのだと預言したのです。

二つ目はイエスの十字架刑の預言です。「御覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするためにと定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。」(ルカ2:34)とあるように、イエスの登場により旧態依然であったイスラエルの権力者や人々の悪が暴かれ、神の裁きを受けることを預言しています。さらにイエスは、反対を受けるしるしとして、その人々の罪を贖うために十字架刑に処されるというのです。

シメオンは続けてマリアに「 あなた自身も剣で心を刺し貫かれます。多くの人の心にある思いがあらわにされるためです。」(ルカ2:35)と十字架刑へとつづくイエスの生涯の艱難と、その母であるマリアの苦しみを告げています。

続いてルカは、もう一人、年老いた女預言者アンナを登場させます。女性の立場を大切にするルカならではの配慮なのかもしれません。

長い間、神殿で祈りと共に過ごしてきたアンナには、幼子イエスは光輝いて見えたのでしょう。弾かれるように近づき神を賛美する様子に、アンナ自身の喜びが見て取れます。そして彼女は女預言者として人々に幼子のことを伝えました。

私は今回、いかに人々がキリストの登場を待ち望んでいたか理解できました。アンナも「エルサレムの救いを待ち望んでいる人々」(ルカ2:38)であったからです。

しかしシメオンが言ったように、イエスはエルサレムの救いのためだけに現れたのではありません。ご自分が鏡となり、全世界の闇を照らす艱難な使命を果たされるために、この世に遣わされたのです。

お生まれになった時から、やがて反対を受けるしるしとしての十字架を背負われていたイエス。

私は今回、誕生・十字架刑・復活という経緯をたどられたイエスによって、世界のすべての人々が救われるようになったことを改めて深く感じることが出来ました。

その点でシメオンとアンナという年老いた預言者の登場は。物語のはじまりとおわりを繋ぐ重要な人物だと思います。

次回は少年イエスのお話から始まります。彼の成長と共に、硬直した世の中が前へと動き出します。様々な人々の思惑をイメージしつつ、イエスのたどられた道を学んでいきます。(Y)


ペチュニア

爽やかな秋空の恵みの中、今年も主にあって創立記念行事を無事に終えることができました。感謝です。以下、式の模様をお伝えします。

■学校法人 柳城学院  創立121周年 記念礼拝 (午前9時30分~ 短大体育館)

●開始前
座席に配布された「柳城学院百二十周年記念誌」を読む学生さんたち

●前奏(扶瀬 絵梨奈 講師)と司式者団入場
 

●聖歌 第367番「イスきみはいとうるわし」【創立者愛唱歌】

●詩編 第23編
23:1 【賛歌。ダビデの詩。】主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。
23:2 主はわたしを青草の原に休ませ/憩いの水のほとりに伴い
23:3 魂を生き返らせてくださる。主は御名にふさわしく/わたしを正しい道に導かれる。
23:4 死の陰の谷を行くときも/わたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる。あなたの鞭、あなたの杖/それがわたしを力づける。
23:5 わたしを苦しめる者を前にしても/あなたはわたしに食卓を整えてくださる。わたしの頭に香油を注ぎ/わたしの杯を溢れさせてくださる。
23:6 命のある限り/恵みと慈しみはいつもわたしを追う。主の家にわたしは帰り/生涯、そこにとどまるであろう。

●創立121周年記念の祈り

永遠にいます全能の神よ、わたしたちのすべての時はあなたのみ手の内にあります。今、この学院が創立121周年を記念する時を迎えることができましたことを感謝いたします。この歴史の中で、あなたはわたしたちのさまざまな努力を最も良いものとして受け入れ、さまざまな出来事を達成へと導いてくださいました。また、わたしたちがあなたのみに頼ることを知るようにと、さまざまな失望や失敗をも与えられました。これらすべての出来事のゆえに感謝いたします。どうか、この学院がこれからも変わることなく、あなたのいのちに満たされ、学ぶこと、見いだすこと、叡智を求めることに熱心でありますように。また、教える者と学ぶ者に共に恵みを与え、すべての真理の源であるあなたを見いだすことができますように。主イエス・キリストによってお願いいたします。

●聖書 ガラテヤの信徒への手紙 第5章1節、13~14節

この自由を得させるために、キリストはわたしたちを自由の身にしてくださったのです。だから、しっかりしなさい。奴隷の軛に二度とつながれてはなりません。兄弟たち、あなたがたは、自由を得るために召し出されたのです。ただ、この自由を、肉に罪を犯させる機会とせずに、愛によって互いに仕えなさい。律法全体は、「隣人を自分のように愛しなさい」という一句によって全うされるからです。

●聖歌 第498番「主われを愛す」

●平和の挨拶

●主の祈り
天におられるわたしたちの父よ、
み名が聖とされますように。
み国が来ますように。
みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。
わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。
わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。
わたしたちを誘惑におちいらせず、
悪からお救いください。
国と力と栄光は、永遠にあなたのものです。 アーメン

〇諸祈祷

名古屋柳城短期大学のための祈り
附属幼稚園のための祈り

創立者及びこれまでの仕え人たちのための祈り
本学院に関わるすべての逝去者のための祈り

●式辞 理事長 ペテロ 渋澤 一郎 主教

柳城学院の歴史は、121年前にカナダ聖公会のヤング先生が保姆養成を開始したことからスタートしました。本日はヤング先生と最初に行動を共にした杉浦いねさんについて触れたいと思います。

18歳のいねさんは日本語の教師としてヤング先生に接しています。先生はいねさんに幼児教育者としての資質を見たのかも知れません。養成所の最初の生徒になるように勧めますが、いねさんには別の夢があったようです。幼児教育に関心はなく、準備も整ってない幼稚園に勤めることに不安もあったのでしょう。それでもヤング先生は熱心に説得しました。こうして、人、金、物も整わずに柳城幼稚園はスタートしました。

このエピソードは私たちに、気が進まない時でも「やってみよう」と思えば、そこに成長があることを教えてくれています。自分に与えられた道を進むことで新しい展望が開けるということです。

121年目を迎えて、四年生大学の新設、こども園への移行、新校舎建設など、柳城は新しい時代に順応した学院に変わりつつあります。今後とも、ご支援、ご協力、よろしくお願いいたします。

●式辞 学長 長縄 年延

・一人だけの保姆養成、8名の園児の柳城幼稚園。これが柳城学院の始まりでした。それ以来、子どもに寄り添い、親と共に歩む姿勢が柳城の原点です。時代が変化する今だからこそ、「子どもに学ぶ」という初心に帰りたいと思います。

・来年度から定員70名の四年制大学が開設されて、定員130名の短期大学と併設されます。私たちは身を引き締め、力を貯めて真正面から進んでいきます。相撲界で最近話題の炎鵬は168cmと小兵ながら、重心を低くして正面から相手にぶつかっていきますが、私たちもそうありたいものです。

・ミュンヘン国際音楽コンクールのチェロ部門で日本人として初めて優勝した佐藤晴真さんは、実は兄と共に柳城幼稚園の卒園生です。このニュースを知り、将来性のある子どもを預かる仕事の大切さを私は改めて感じました。そして、神から与えられた無限の可能性を秘めた子どものために、これからも初心に帰ってしっかりと前に歩みたいと思います。ご支援とご協力をどうかよろしくお願いいたします。

●聖歌 第417番「あなたの平和の」

●永年勤続者表彰

●感謝の祈り
天の父よ、み子イエス・キリストは幼子を祝福し、神の国はこのような者の国であると教えてくださいました。どうかみ名によって建てられた柳城学院に恵みを下し、ここに集うわたしたちが主のみ旨に従って、心もからだも健やかに成長し、信仰の道を学び、主に仕えてみ栄を現すことができるようにしてください。主イエス・キリストによってお願いいたします。アーメン

●祝福
計り知ることのできない神の平安がキリスト・イエスにあって皆さんの心と思いを守り、ますます深く父とみ子を知り、かつ愛させてくださいますように。父と子と聖霊なる全能の神の恵みが、常に皆さんとともにありますように。

    

●校歌

●後奏(一同黙想)

■第2部 創立121周年記念  特別講演

「創立者~私たちのヤング先生~」
名誉教授 尾上 明子

「ヤング先生は120年前の昔の人ではありません。彼女の精神は私たちの近くに今も息づいています。それを感じていただければ、私の今日の目標は達成されたことになります。」 こう始まった今回の講演。聴衆のすべてにとって、柳城学院の原点を振り返り、自分に与えられた使命を考えるには実に良い機会だったと思います。

そして最後は、「柳城はこのヤング先生の精神を忘れずに、互いに愛し合って進んで行って欲しいと思います」と締められました。以下、この「ヤング先生の精神」に焦点を絞って、その要点を書き留めておきます。

 

・意志の強い信念の人だった。その厳格さは神に由来し、人間味溢れるものであった。

・神と人とを愛した人だった。肺の病にかかった青年を資金援助するために日本語教師として雇い、良い物を食べさせて病からの失望から救った、などという記録がいくつも残っている。

・独身であったが、後に、保姆養成所の卒業生の子どもを養子として引き取って大切に育てた。彼(清水正高氏)は後にピアニスト・オーガニストとして活躍し、ヤング先生の葬儀の際には奏楽を担当している。

・当時まだ貧しかった日本の、特に、女性と子どもに対する温かい眼差しがキンダーガルテン(幼稚園)を生み出した。

・ヤング先生の保育の中心には、「神の愛を伝える」と「フレーベルの教育思想に従う」という二つの柱があった。

・聖書の言葉として、「神は愛です。(Ⅰヨハネ4:16)」、「青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ。(コヘ12:1)」、「心の清い人々は、幸いである。(マタ5:8)」がよく用いられた。

・「柳城幼稚園保姆養成所」は幼稚園の附属施設としての性格が強かった。すなわち、子どもと共に大人が学ぶ養成所だったということである。現在の「名古屋柳城短期大学附属○○幼稚園」という名称と比較すると「幼稚園」の位置が逆になっているところが注目される。

・幼稚園の庭から年間プログラムのすべてが導かれている。そこには「神の存在を知る」という明確な目的が示されていた。

・卒園証書には鉢植えパンジーが添えられた。

・1903年に柳城幼稚園に「母の会」が作られた。そこでは、栄養や健康の指導、料理教室、教育やしつけ、洋裁、刺しゅうなど様々な事柄が扱われた。

・決して偏愛されないこと、その博愛的な心、そして、正義心と豊かなる奉仕、また祈りの人であり、その信仰が実生活に生きていること。例えば、ご自分の意見が間違っていたと気がつかれたとき、直ちに心からその誤りをお詫びられた。その代わり、ご自分が正しく神のみ旨にかなっていると思われたときは、最後の一人となるまで、決して主張をまげられず、毅然として突進なさった。人との交わりは、決して一時的なものではなく、一度深く交わればその交わりは永遠なものでした。聖書を学ばれ、常に祈りによって、日々新たなる命の種をお受けになっておられた。先生の思想は、実に気高く聖いものでした。(ボーマン先生によるヤング先生への追悼文より)

 

■学校法人 柳城学院  創立者記念墓地礼拝
(午後1時~ 日本聖公会中部教区 共同墓地【八事霊園内】)

 

 

 

 

 

今回は、事務の大澤さんに登場していただきます。お話の内容は「就職を控えての心構え」ということになると思います。現在、彼は学生支援課に所属していますが、過去は、教務課→就職課→入試広報課という順で、学生さんと関わる最前線で様々な経験を積んできた方です。それを活かしたアドバイスはきっと学生さんの役に立つに違いありません。

ちなみに前回の大学礼拝のテーマが「自分らしく生きる私たち」でした。礼拝は「キリスト教のお勉強の時間」ではなく、聖書の言葉をきっかけにして自分を振り返る時間です。多くの学生さんがこの点を理解して、チャペルが毎回「満員御礼」になるよう期待します。

ある幼稚園の先生が言っていました、「自分自身が分からない人に、子どもの教育なんて無理」。

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●日時:11月12日(火)
3限 13:10~:保育科1、2年CDクラス、保育専攻科、教職員
4限 14:50~:保育科1、2年ABクラス、保育専攻科、教職員
●場所:203教室
●お話:大澤弘毅さん(学生支援課)
●テーマ:ニコニコ! ハキハキ! キビキビ!
聖書箇所:【エフェソの信徒への手紙4:29】
4:29 悪い言葉を一切口にしてはなりません。ただ、聞く人に恵みが与えられるように、その人を造り上げるのに役立つ言葉を、必要に応じて語りなさい。

次回以降の予定
・12/3(火)通常礼拝(チャペル)説教:大西チャプレン ★16:30よりXmasツリー点灯式
・12/10(火)通常礼拝(体育館)説教:大西チャプレン
・12/18(水)クリスマス礼拝(体育館)
・1/7(水)通常礼拝(チャペル)【通常礼拝最終】

【マルコによる福音書1章16節より】
1:16 イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、シモンとシモンの兄弟アンデレが湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった。
1:17 イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。
1:18 二人はすぐに網を捨てて従った。
1:19 また、少し進んで、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、舟の中で網の手入れをしているのを御覧になると、
1:20 すぐに彼らをお呼びになった。この二人も父ゼベダイを雇い人たちと一緒に舟に残して、イエスの後について行った。

始める前に、今回の「黙想と祈りの集い」が生まれた経緯がスライドを使って説明されました(こちらがその参考になります)。

「祈り」の中身については次のファイルをご参照ください。
025R【導かれる】人間をとる漁師にしよう

また、礼拝後に簡単なアンケートを実施しました。その中で「ちょっとあやしい」と感じたという回答もありましたが(決して怪しくはありません‼ 念のため(笑))、次のように、今日の礼拝の意義をしっかりと理解した学生さんもいたことをご紹介しておきます。
—–
「私の天職は愛」、「自分自身を甘やかしておきながら、子どもたちを教え導こうなどという傲慢さは、子どもたちに対して失礼」「子どもたちに対して恥ずかしくない人生を歩むための努力」という言葉がとても心に残りました。最近、中だるみで寝坊が多かったので、今日の礼拝を機に心新たに頑張るつもりです。
—–

主に感謝。

 

 

 

11月2・3日の2日間にわたって、本学の大学祭が行われました。体育館でのステージ企画で聖歌隊が参加し、10月27日の昭和区民祭と同様の6曲を歌いました。今年の聖歌隊6名は全員2年生です。メンバーは聖歌隊の他にも、大学祭の実行委員や模擬店の準備もあるため、それらの役割との調整を行いつつ、限られた練習時間をやりくりしながら、柳城祭本番のために聖歌隊の練習にも取り組んできました。

当日は、体育館に多くの観客が集って下さり、私たちの演奏に耳を傾けて下さいました。「海と空つくられた主は」の手話付きソングでは、お客様ののりがよく、皆さんの温かい雰囲気に助けられて、歌っている私たちも練習の時以上の力を発揮することができました。

また、演奏後に卒業生さん(現在も保育士として活躍中の大ベテランさんです)が体育館外の通路にお越しくださって、労いの言葉をかけてくれました。思いがけないサプライズに感謝です。

ご観覧下さった皆様、演奏を聴いて下さり、どうもありがとうございました。(柴田)

天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。 今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。 あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」(ルカ2:10~12)

クリスマス降誕劇で良く知られたイエス・キリスト誕生の物語。今回は「マタイによる福音書」と対比させながら学んでいきました。

福音記者ルカは、イエスがベツレヘムで生まれて飼い葉桶に寝かされると、そこへ羊飼いたちが見にやって来るという物語を綴りますが、マタイの方は、イエスの生まれたベツレヘムの、その「家」に東方から学者らがやって来て高価な贈り物を捧げたと記します。

降誕劇の台本はこの二つの事実をミックスして作られています。だから、これでは、ルカとマタイがそれぞれ別の視点でイエスの誕生を捉えている点が曖昧になってしまうことに、今回はじめて気づかされました。

マタイの視点とは…。それは「学者」という権威ある者がイエスを拝んだことで、イエスの尊厳さを際立たせようとしたことです。それは権威を重んじるユダヤ人指導者の発想に近いものでした。でも、その学者らは異国人でした。だから、マタイは「ユダヤ人のために生まれたはずのイエスをユダヤ人が拝みに来ない」と風刺するとともに、イエスがユダヤだけではなくて全世界の救世主である点を強調することも忘れてはいません。

一方のルカは、当時、地位が低く軽蔑されていた職業である羊飼いを登場させます。弱者の側にいつも立つイエスを「飼い葉桶」によって象徴的に描こうとするルカの姿勢がここにも表れています。ちなみに、マタイが「赤ちゃんイエスが家に住んでいた」ことを示唆する、その違いを見逃してはなりません。

そして、羊飼いらに天使は次のように語ったとルカは続けます。
「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。(2:10)」  
「民全体」とは全世界を意味しますので、ルカもマタイ同様、イエスがユダヤだけの救世主ではないことを伝えます。なお、この「告げる」とは「福音を告げる」ことを意味する言葉だそうです。

さて、彼らは一連の不思議な体験を人々に告げ知らせますが、信じてはもらえなかったようです。でもイエスの母マリアは「これらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた(ルカ2:19)」のです。

マリアは羊飼いらの姿を見て感じながら確信を持ったのでしょう。「心に納める」とは、内緒にすることではなくて、しっかりと記憶するという意味です。

このマリアの姿勢は保育者となる私たちに常に必要な冷静さを教えてくれています。自分なり、独りで感じること…そう。大きな確信を得て、これからの道を冷静に歩いていく術をマリアから学べるのではないでしょうか。

飼い葉桶に寝かされたイエス。
「だが人の子は枕する所もない(ルカ9:58)」 
この御言葉どおりのご生涯が、今、始まったのでした。

次回もイエスの道をたどり、学んでいきます。イエスを大好きになる、そんな子どもたちが一人でも増えることを信じて。(Y)


押し花の準備

鶴舞公園で行われた昭和区民祭でのふれあいステージ企画に、今年も聖歌隊が参加し、キリスト教の聖歌や讃美歌をはじめとする歌を披露しました。

曲目は、「わたしをお使いください」「いつくしみふかき」「ことりたちは」「海と空つくられた主は」「上を向いて歩こう」「もみじ」の全6曲です。このうち、「海と空つくられた主は」は、子ども向きの手話付きの歌です。観客の皆様もご一緒に手を動かして、口ずさんで下さいました。どうもありがとうございました。

当日は、大変よい天気と気持ちの良い気候に恵まれて、たくさんのお客様に聴いて頂いたことを感謝申し上げます。(柴田)

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