【サムエル記下12:1-10】
12:1 主はナタンをダビデのもとに遣わされた。ナタンは来て、次のように語った。「二人の男がある町にいた。一人は豊かで、一人は貧しかった。
12:2 豊かな男は非常に多くの羊や牛を持っていた。
12:3 貧しい男は自分で買った一匹の雌の小羊のほかに/何一つ持っていなかった。彼はその小羊を養い/小羊は彼のもとで育ち、息子たちと一緒にいて/彼の皿から食べ、彼の椀から飲み/彼のふところで眠り、彼にとっては娘のようだった。
12:4 ある日、豊かな男に一人の客があった。彼は訪れて来た旅人をもてなすのに/自分の羊や牛を惜しみ/貧しい男の小羊を取り上げて/自分の客に振る舞った。」
12:5 ダビデはその男に激怒し、ナタンに言った。「主は生きておられる。そんなことをした男は死罪だ。
12:6 小羊の償いに四倍の価を払うべきだ。そんな無慈悲なことをしたのだから。」
12:7 ナタンはダビデに向かって言った。「その男はあなただ。イスラエルの神、主はこう言われる。『あなたに油を注いでイスラエルの王としたのはわたしである。わたしがあなたをサウルの手から救い出し、
12:8 あなたの主君であった者の家をあなたに与え、その妻たちをあなたのふところに置き、イスラエルとユダの家をあなたに与えたのだ。不足なら、何であれ加えたであろう。
12:9 なぜ主の言葉を侮り、わたしの意に背くことをしたのか。あなたはヘト人ウリヤを剣にかけ、その妻を奪って自分の妻とした。ウリヤをアンモン人の剣で殺したのはあなただ。
12:10 それゆえ、剣はとこしえにあなたの家から去らないであろう。あなたがわたしを侮り、ヘト人ウリヤの妻を奪って自分の妻としたからだ。』
聖書に登場する人物で素晴らしいと思われる人であっても、聖書はその人の人間としての有りのままの姿が包み隠さず描いています。ですから私たちの理想像としている人物も多くの短所をもっていることがわかります。
今日お話しするダビデもその一人です。彼はベツレヘム(イエスの誕生の地)出身のエッサイの8人目の息子(末っ子)で、父の羊飼いの仕事を手伝っていました。イスラエルの初代のサウル王が隣国ペリシテと戦っていた時、利発な少年ダビデはゴリアトというペリシテのつわものを石投げ紐で石を飛ばして撃ち倒し、勝利に貢献し、サウルの側近として仕える者になりました。また、竪琴の名手でもあり、サウルに安らぎを与えました。詩編70編までの多くはダビデの詩編と言われています。
ダビデはサウルに次ぐイスラエルの第2代の王として、紀元前1000年から960年までの40 年間、君臨し、王国を統一しました。その名声は後世にまで語り伝えられています。
イスラエル全軍がヨアブの指揮下でアンモン人と戦っていた時に起こされた出来事が有名な「バト・シェバ事件」です。ここに描かれているダビデは、若き頃の英雄としての雄姿ではなく、一人の人間としての弱さや、罪深さを余すところなく暴露しています。
主に遣わされて預言者ナタンがダビデのもとに来て、次のたとえ話を語ります。
「二人の男がある町にいた。一人は豊かで、一人は貧しかった。豊かな男は非常に多くの羊や牛を持っていた。貧しい男は自分で買った一匹の雌の子羊のほかに、何一つ持っていなかった。彼はその子羊を養い、子羊は彼のもとで育ち、息子たちと一緒にいて 彼の皿から食べ、彼の椀から飲み、彼のふところで眠り、彼にとっては娘のようだった。ある日、豊かな男に一人の客があった。彼は訪れて来た旅人をもてなすのに自分の羊や牛を惜しみ 貧しい男の子羊を取り上げて、自分の客に振る舞った。」(12:1-4)
このたとえ話を聞いたダビデは、豊かな男に激怒し、「そんな男は死罪だ。子羊の償いに4倍の値を払うべきだ。そんな無慈悲なことをしたのだから。」と叫びます。それに対して、預言者ナタンはダビデに向かって、「その男はあなただ」と叱責したのです。
このたとえ話が語られた背景にはこんな出来事がありました。
イスラエル全軍がヨアブの指揮下でアンモン人と戦っていた時、ダビデはエルサレムにとどまっていました。ある日の夕暮れ時、昼寝から覚めたダビデが宮殿の屋上を散歩していると、屋上から一人の美しい女が行水しているのが見えたので、その女はだれかを尋ねさせたところ、家臣であるヘト人ウリヤの妻バト・シェバであることがわかり、使いの者をやって彼女を召し入れ、彼女と関係を持ちました。彼女は家に帰ってから、子供ができたことがわかり、ダビデにそのことを知らせました。すぐさまダビデはウリヤを戦場から送り返すように命じ、宮廷に呼び出し、戦場の様子などを聞いたのち、家に帰ってゆっくり疲れを癒すようにと言いました。そうすることによってバト・シェバの腹の子を、ウリヤの子とすることを画策したのです。しかし他の兵士たちが戦っているのに、自分だけそんなことはできないとその勧めを断わり、野外で過ごしました。さらなる勧めにもウリヤは固く自らの意思を貫きました。そのためダビデは最後の手段として、ウリヤを戦いの最前線立たせ戦死させてしまったのです。そしてその後、彼の喪が明けるとバト・シェバを宮廷に引き取り、正式に妻としました。
権力を乱用し、誰もが驚き呆れる様な罪を犯したダビデの姿を、預言者ナタンはたとえ話を通して指摘したのですが、ダビデはそのたとえ話の中の、富んだ者が自分であり、貧しい者がウリヤを指しているとは気づきませんでした。
わたしたちは自分の犯した罪には案外気付かない鈍感な人間です。ダビデは厚顔無恥な男で、ひょっとしたら自分の罪に気づいていたのかもしれませんが、開き直っていたようなところがあったのかもしれません。預言者ナタンはダビデの罪がいかに大きく重いものであるかを、神からの厳しい罰を示すことによって語りました。ダビデは預言者ナタンに「わたしは主に罪を犯しました。」と懺悔します。ナタンは「その主があなたの罪を取り除かれる。あなたは死を免れる。しかし生まれてくるあなたの子は必ず死ぬ」と告げました。
このような大罪を犯したダビデを神は赦し、再び用いられました。心の底から罪を悔い改める者を神は赦してくださることに感謝したいと思います。
わたしもひょっとしたら、そんなダメな「ダビデ」かもしれないと自問自答してみることが大切ではないでしょうか。(チャプレン大西 修)
ポピーとアリッサム