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約40年前に私は溢愛館に就職しました。当時はオイルショックの時代で、大変な不景気でした。トイレットペーパーの買い占め騒動など、社会が騒然とする中、就職するのも難しかったのですが、私は楽観的で「何とかなるさ」と高をくくっていました。そういうおごった性格が禍してか、公務員試験に落ちて困り果てていました。

そんな状況で溢愛館の求人にたまたま出会いました。もともと福祉の仕事がしたかった私は運よく採用されたわけですが、後から聞いた話では、「おまえは大学出たばかりだから給料が安くすむし、経験がないのも教えがいがある。器用さも力もないが、真面目さだけはありそうだ」という評価だったということです。実際、私は3年くらいは全く役に立たなかったのです。これも後から聞いた話ですが、同僚らが施設長に向かって「成瀬を辞めさせて、キャリアのある女性を採用してくれ」と嘆願したくらいのひどさだったようです。

さて、こんな私でも40年もの間、溢愛館に勤められたのはどうしてでしょう。それは、職場環境が私を育ててくれたからなのです。特に、溢愛館で出会った子どもたちやその親たちとの関わりが私を成長させてくれました。里親との関係もそうでした。児童相談所の方針に異議を唱えて里親探しを進めてうまくいったこともありましたし、逆に、十分な検討を重ねることができないまま里親へ子どもを預けて、結局、残念な結果に終わったこともありました。両親とも精神疾患を患ってしまったその子どもが、親元に引き取られてから立派に成長していく姿にも出会えました。

どんな人も未熟なままで就職します。でも、与えられた環境の中で完成体に近づいていくのです。たとえ最初は力がなくても、人間関係の広がりを通して成長していきます。だから、あきらめる必要はありません。こんな私でも、今こうして話をしながら学ばせてもらっています。活かされていることが実感できます。(成瀬 英雄 本学非常勤講師、要約は加藤)

今回は「ヨナの物語」が扱われます。当時の時代背景を知らないと物語の意味がサッパリ分からないという難点はありますが、この短いお話には「神は愛です(1ヨハネ4:16)」というメッセージが鮮明に記されています。加えて、私たちの胸の奥に潜む邪悪な心(持ってない人もいるかも)をあぶり出してくれるので、とても刺激的です。

チャプレンのお話にも、きっと気合が入ることでしょう(笑) 「乞うご期待」です‼

お待ちしています!(^^)!

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●日時:7月16日(火)
3限 13:10~:保育科1年ABクラス、2年CDクラス、保育専攻科、教職員
4限 14:50~:保育科1年CDクラス、2年ABクラス、保育専攻科、教職員
●場所:チャペル
●説教:大西チャプレン
●テーマ:「わたしの中に生きているヨナ ~ヨナの生きざまから学ぶ~」
●聖書箇所:【ヨナ書3:1-4:11】
3:1 主の言葉が再びヨナに臨んだ。
3:2 「さあ、大いなる都ニネベに行って、わたしがお前に語る言葉を告げよ。」
3:3 ヨナは主の命令どおり、直ちにニネベに行った。ニネベは非常に大きな都で、一回りするのに三日かかった。
3:4 ヨナはまず都に入り、一日分の距離を歩きながら叫び、そして言った。「あと四十日すれば、ニネベの都は滅びる。」
3:5 すると、ニネベの人々は神を信じ、断食を呼びかけ、身分の高い者も低い者も身に粗布をまとった。
3:6 このことがニネベの王に伝えられると、王は王座から立ち上がって王衣を脱ぎ捨て、粗布をまとって灰の上に座し、
3:7 王と大臣たちの名によって布告を出し、ニネベに断食を命じた。「人も家畜も、牛、羊に至るまで、何一つ食物を口にしてはならない。食べることも、水を飲むことも禁ずる。
3:8 人も家畜も粗布をまとい、ひたすら神に祈願せよ。おのおの悪の道を離れ、その手から不法を捨てよ。
3:9 そうすれば神が思い直されて激しい怒りを静め、我々は滅びを免れるかもしれない。」
3:10 神は彼らの業、彼らが悪の道を離れたことを御覧になり、思い直され、宣告した災いをくだすのをやめられた。
4:1 ヨナにとって、このことは大いに不満であり、彼は怒った。
4:2 彼は、主に訴えた。「ああ、主よ、わたしがまだ国にいましたとき、言ったとおりではありませんか。だから、わたしは先にタルシシュに向かって逃げたのです。わたしには、こうなることが分かっていました。あなたは、恵みと憐れみの神であり、忍耐深く、慈しみに富み、災いをくだそうとしても思い直される方です。
4:3 主よどうか今、わたしの命を取ってください。生きているよりも死ぬ方がましです。」
4:4 主は言われた。「お前は怒るが、それは正しいことか。」
4:5 そこで、ヨナは都を出て東の方に座り込んだ。そして、そこに小屋を建て、日射しを避けてその中に座り、都に何が起こるかを見届けようとした。
4:6 すると、主なる神は彼の苦痛を救うため、とうごまの木に命じて芽を出させられた。とうごまの木は伸びてヨナよりも丈が高くなり、頭の上に陰をつくったので、ヨナの不満は消え、このとうごまの木を大いに喜んだ。
4:7 ところが翌日の明け方、神は虫に命じて木に登らせ、とうごまの木を食い荒らさせられたので木は枯れてしまった。
4:8 日が昇ると、神は今度は焼けつくような東風に吹きつけるよう命じられた。太陽もヨナの頭上に照りつけたので、ヨナはぐったりとなり、死ぬことを願って言った。「生きているよりも、死ぬ方がましです。」
4:9 神はヨナに言われた。「お前はとうごまの木のことで怒るが、それは正しいことか。」彼は言った。「もちろんです。怒りのあまり死にたいくらいです。」
4:10 すると、主はこう言われた。「お前は、自分で労することも育てることもなく、一夜にして生じ、一夜にして滅びたこのとうごまの木さえ惜しんでいる。
4:11 それならば、どうしてわたしが、この大いなる都ニネベを惜しまずにいられるだろうか。そこには、十二万人以上の右も左もわきまえぬ人間と、無数の家畜がいるのだから。」

●次回以降の予定
・7/23(火)通常礼拝(チャペル)説教:大西チャプレン
・9/3(火)通常礼拝(チャペル)説教:大西チャプレン

「目を覚ましていなさい」(マルコによる福音書13:37)

今回は、愛ゆえの厳しさによってイエス・キリストが私たち人類にお求めになられる真実の信仰の姿について学ぶことが出来ました。

前回に続いて十字架に向かわれる直前の貴重な時を用いられ、イエスは弟子たちに終末について述べられました。その中でイエスは「目を覚ましていなさい」と4回も繰り返し諭されました。私たちが油断し真の信仰から離れてしまうことのないように念を押されたのです。

イエスが諭された「目を覚ましている」こととは、日々の生活の中で福音書に触れてイエスを仰ぎながら暮らすことだと、私は今回学びました。それは毎日の努力の積み重ねを要し「行動」であらわされるものです。

私は本学保育科の二年次、洗礼堅信にあずかりました。学びの中、イエスのお姿を辿るうち、行動を伴わない信仰は真の信仰とは言えないというキリスト教の厳しさがあることを知りました。しかし一方で、イエスの計り知れない愛のお姿も学んでいます。

今回の聖書記事において、終末がやってきた時にすべての人が神に選ばれ救われて欲しいとイエスが願われていることが分かります。イエスはそのためにこの世に遣わされたのです。私はその愛に心が熱くなります。でも、イエスを受け入れて救われるかどうかは私たちが判断することです。ここに現実の厳しさが感じられます。

イエスに出会う人生。それはたとえキリスト教徒でなくても、人生をまっすぐに生きる指針となり、喜びであると私は思います。

次回もイエスに真中に感じ、仲間とともに、学び、そして祈ります。(Y)


ミニヒマワリ

【マタイによる福音書25:31-46】
25:31 「人の子は、栄光に輝いて天使たちを皆従えて来るとき、その栄光の座に着く。
25:32 そして、すべての国の民がその前に集められると、羊飼いが羊と山羊を分けるように、彼らをより分け、
25:33 羊を右に、山羊を左に置く。
25:34 そこで、王は右側にいる人たちに言う。『さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。
25:35 お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、
25:36 裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。』
25:37 すると、正しい人たちが王に答える。『主よ、いつわたしたちは、飢えておられるのを見て食べ物を差し上げ、のどが渇いておられるのを見て飲み物を差し上げたでしょうか。
25:38 いつ、旅をしておられるのを見てお宿を貸し、裸でおられるのを見てお着せしたでしょうか。
25:39 いつ、病気をなさったり、牢におられたりするのを見て、お訪ねしたでしょうか。』
25:40 そこで、王は答える。『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』
25:41 それから、王は左側にいる人たちにも言う。『呪われた者ども、わたしから離れ去り、悪魔とその手下のために用意してある永遠の火に入れ。
25:42 お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせず、のどが渇いたときに飲ませず、
25:43 旅をしていたときに宿を貸さず、裸のときに着せず、病気のとき、牢にいたときに、訪ねてくれなかったからだ。』
25:44 すると、彼らも答える。『主よ、いつわたしたちは、あなたが飢えたり、渇いたり、旅をしたり、裸であったり、病気であったり、牢におられたりするのを見て、お世話をしなかったでしょうか。』
25:45 そこで、王は答える。『はっきり言っておく。この最も小さい者の一人にしなかったのは、わたしにしてくれなかったことなのである。』
25:46 こうして、この者どもは永遠の罰を受け、正しい人たちは永遠の命にあずかるのである。」

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皆さんはこの柳城に入学し、保育者になることを目指しておられます。しっかりと目標、目的がおありです。皆さんの志に敬意を表し、応援したいと思います。

今日の機会に今一度質問をしたいと思います。何故、保育者を志したのでしょう。

自分にそう決意させたもの、促したものは何なのでしょう。よく振り返ってよく見つめて欲しいのです。自覚している方もあらためて意識してみて下さい。

皆さんは水俣病を知っていますか? 九州水俣湾で起きた水銀汚染公害病です。その悲惨さや公害の深刻さを世界に示しました。

工場が水銀を含んだ排水を海に垂れ流し、汚染された魚介類を食べていた人達が発症した公害病です。水俣湾の魚は食べられなくなってしまい漁師は漁をなりわいとしていたので生活保障として汚染源となった工場が市価と同額でとってきた魚を買い取っていました。漁をすればそれだけ収入になるので毎日漁に出掛けていました。工場では買い取った魚をすぐコンクリートづめにして廃棄していました。その事を知った漁師達は自分たちのしていることに疑問を持ち始め、次第に漁に出る意欲を失い、ついに漁をやめてしまったそうです。

人が生きるのに大切なことが示されているように思います。それは、「何のために」という目的なのではないでしょうか。生きがい、張り合いと言ってもいいでしょう。自分のしていることが何かしら社会の中で何らかの役に立っていると思えれば、たとえどんなにしんどくても意欲や喜びをもって生きることができるようですが、「何のために」という目的を失ったり、自分が納得が出来ない場合には意欲も喜びも失ってしまいます。

学校で勉強していることも「何のために」するのかということをあらためて考えてみると良いと思います。結局のところ「試験があるから」というのが本音かも知れませんが…。では何故「何のために」試験するのかという事も問われることにもなるでしょう。ただ単に学校教育の問題だけでなく、ひいては「何のために」という問いは、広く社会や人生そのものに関わる重大な事柄となっていることは言うまでも無いことのように思います。

聖書は人生にもテストがあると語っています。神様は問いかけます。財力、地位や名誉を持っているかではなく、「わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者にしたかどうか」という問いです。

皆さんがこの柳城で、「愛によって仕える」者として生きようとするその志をどうぞ全うされますよう心から願い、お祈りしております。(中尾 志朗 司祭:一宮聖光教会)

「わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。」(マルコによる福音書13:13)

今回はイエスのお姿を通して、どんな状況にあっても相手に真実を伝える正直な愛のお姿を学びました。

イエスは十字架刑に処される目前のある日、弟子たちに終末について述べられました。

その中でイエスは、弟子たちがこれから迎えるであろう災難について警告をなさり、弟子であることの厳しさを超然と当たり前のこととしてお伝えになられました。

一方で、イエスはこの災難こそが、福音書が伝えられる最大のチャンスであると語ります。そして災難を成就した果てには神の国に入る道が与えられるとお約束なさったのです。

イエスは常にどのような時も本音を丁寧に語られます。それがいかに厳しい道に至るものだとしても。そして自ら、十字架上の処刑という災難を通して全世界に福音が述べ伝えるきっかけを作られたのです。

今回私は、師とは言葉だけでなく行動によって真実を証しすべきものと知りました。私はそのお姿に心からの信頼を感じます。

相手に真実を伝えることは一見とても冷酷に感じます。しかし今回私はお話を聞いているうちに、イエスの深い真意が感じられました。そこには、イエスの私たちに与えてくださる愛と真実が見えます。

次回も福音書を通しイメージを膨らませ、よりいっそう人間イエス・キリストのお姿を感じられるよう学んでいきます。(Y)


モンシロチョウ

今回の説教は変則で、3限と4限で担当が異なります。

3限は非常勤講師の成瀬英雄先生です。本学の学生さんが施設実習でいつもお世話になっている児童養護施設「溢愛館(いつあいかん)」の職員兼理事を務めておられます。本学と同じように、キリスト教精神のもとに建てられたこの施設。約70年の歴史が熱く語られることでしょう。

4限は大西チャプレン。復活したイエス・キリストが弟子のペトロに向かって何度も「わたしを愛しているか?」と問い掛ける場面が扱われます。イエスはペトロのことが大好きだったのでしょう。茶目っ気たっぷりのイエスをイメージして読むと、深刻な内容を愛をもって伝えようとするイエスの姿が浮かび上がってきて、なんだか嬉しくなってきます。

どちらも外せない感じですので、可能な人は、頑張って両方出席してみては?
お待ちしています!(^^)!

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●日時:7月9日(火)
●場所:チャペル
【3限】13:10~:保育科1年ABクラス、2年CDクラス、保育専攻科、教職員
●教話:成瀬 英雄先生(本学非常勤講師、児童養護施設「溢愛館」職員兼理事)
●テーマ:「溢愛館(いつあいかん)の働きを通して思うこと」

【4限】14:50~:保育科1年CDクラス、2年ABクラス、保育専攻科、教職員
●説教:大西チャプレン
●テーマ:「わたしはあなたを愛している」
●聖書箇所:【ヨハネによる福音書21:15-19】
21:15 食事が終わると、イエスはシモン・ペトロに、「ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを愛しているか」と言われた。ペトロが、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と言うと、イエスは、「わたしの小羊を飼いなさい」と言われた。
21:16 二度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」ペトロが、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と言うと、イエスは、「わたしの羊の世話をしなさい」と言われた。
21:17 三度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」ペトロは、イエスが三度目も、「わたしを愛しているか」と言われたので、悲しくなった。そして言った。「主よ、あなたは何もかもご存じです。わたしがあなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます。」イエスは言われた。「わたしの羊を飼いなさい。
21:18 はっきり言っておく。あなたは、若いときは、自分で帯を締めて、行きたいところへ行っていた。しかし、年をとると、両手を伸ばして、他の人に帯を締められ、行きたくないところへ連れて行かれる。」
21:19 ペトロがどのような死に方で、神の栄光を現すようになるかを示そうとして、イエスはこう言われたのである。このように話してから、ペトロに、「わたしに従いなさい」と言われた。

●次回以降の予定

・7/16(火)通常礼拝(チャペル)説教:大西チャプレン
・7/23(火)通常礼拝(チャペル)説教:大西チャプレン
・9/3(火)通常礼拝(チャペル)説教:大西チャプレン

「主なる神が地と天を造られたとき、地上にはまだ野の木も、野の草も生えていなかった。主なる神が地上に雨をお送りにならなかったからである。また土を耕す人もいなかった。しかし、水が地下から湧き出て、土の面をすべて潤した。主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。」(創世記2:4~7)

チャプレンタイムの中で、高校の時、どこへ修学旅行に行った?と質問したら、そのうちの何と3分の1くらいが「沖縄へ行った」と答えました。それに「広島」「長崎」を加えると、何と修学旅行の行先の6~7割になります。

南の島、トロピカルムード漂う沖縄、異国情緒豊かでハウステンボスなどがある長崎、安芸の宮島など景観に恵まれ、牡蠣やもみじ饅頭で有名な広島ですが、実は「沖縄」」「広島」「長崎」は言うまでもなく、平和学習のための重要な三つの場所(戦跡)なのです。「沖縄」は太平洋戦争末期1945年4月から8月、本土決戦に向けての時間稼ぎの捨て石作戦(持久戦)のため、20万人をこえる人々が亡くなりました。そのうち94,000人が沖縄の一般住民でした。これは県民の4人に一人に相当します。広島の原爆では35万の人口の内14万人、長崎の原爆では24万人の人口のうち74,000人が亡くなりました。名古屋でもB29爆撃機の68回にわたる空襲で約8,000人が亡くなりました。

戦争は人間の理性も良心も麻痺させてしまいます。そして神によって造られた何ものにも代えがたい尊い命を奪ってしまいます。戦争は人間の犯す最も重い罪です。神から与えられたたった一つのかけがえのない命を奪ってしまうからです。人間には人の命を奪う権利はありません。ですから、死刑制度も人が人の命を法律によって奪うことですから、この制度を廃止すべきであると世界各国で叫ばれているのです。(アムネスティーの運動)

創世記では、神の息吹きを受けて生かされている人間の尊厳が語られます。しかし、人間は土の塵で造られた小さく弱い存在なので、神の大きな命の息吹きの中で生きていくことが求められているのです。

「命(ぬち)どぅ宝」とは、恒久平和を求める沖縄の心、沖縄戦の悲惨な体験と今尚続く米軍支配の重圧にあらがいながら、常に願い培ってきた沖縄の心です。人間の尊厳を何よりも重視し、相手を尊び、お互いに支え合い活かし合い、戦争につながる一切の行為を否定し、平和を求める人間性の発露である文化をこよなく愛する沖縄の心を「命(ぬち)どぅ宝」と言います。

ある学生は言いました。楽しいはずの修学旅行が、とっても重く暗い気持ちの旅行になってしまったと。「沖縄から名古屋は見えるけれども、名古屋からは沖縄が見えない。」   沖縄、長崎、広島に行って初めて、わたしたちは沖縄の視点、長崎、広島の視点に立ってものごとを見ることの大切さを学ぶことが出来るのです。

平和は待っていてもやってきません。どんな小さなことでも、平和を実現するための努力を惜しまないこと、また戦争に繋がるようなことは、どんな小さな芽でも早く摘み取る必要があります。多くの犠牲の上に成り立った平和憲法を、しっかり守り抜き、二度と戦争をしない、平和を愛する国であることを声を大にして訴えていきたいものです。

6月23日、沖縄慰霊の日、沖縄戦全戦没者追悼式で糸満市の小学校6年生の少女が読んだ詩「本当の幸せ」をここで紹介します。(朝日新聞6/24 朝刊)

青くきれいな海 この海は どんな景色を見ているのだろうか
爆弾が何発も打ち込まれ ほのおで包まれた町 そんな沖縄を見たのではないだろうか
緑あふれる大地 この大地は どんな声を聞いたのだろうか
けたたましい爆音 泣き叫ぶ幼子 兵士の声や銃声が入り乱れた戦場
そんな沖縄を聞いたのだろうか
青く澄みわたる空 この空は どんなことを思ったのだろうか
緑が消え、町が消え、希望の光を失った島 体が震え心も震えた
いくつもの尊い命が失われたことを知り そんな沖縄に涙したのだろうか
平成時代 私はこの世に生まれた 青くきれいな海 緑あふれる大地 青く澄み渡る空しか知らない私 海や大地や空が七十四年前 何を見て 何を聞き 何を思ったのか
知らない世代が増えている 体験したことはなくとも 戦争の非さんさを 決して繰り返してはいけないことを 伝え継いでいくことは 今に生きる私たちの使命だ
二度と悲しい涙を流さないために この島がこの国がこの世界が 幸せであるように
お金持ちになることや 有名になることが幸せではない 家族と友達と笑い合える
毎日こそが 本当の幸せだ 未来の夢を持つことこそが 最高の幸せだ
「命(ぬち)どぅ宝」 生きているから笑い合える 生きているから未来がある
令和時代 明日への希望を願う新しい時代が始まった この幸せをいつまでも

最後にヒロシマの詩人 峠 三吉の詩ユネスコ憲章を読んで終わります。

ちちをかえせ ははをかえせ
としよりをかえせ こどもをかえせ
わたしをかえせ わたしにつながる
にんげんをかえせ
にんげんの にんげんのよにあるかぎり
くずれぬへいわをへいわをかえせ

「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和の砦を築かなければならない。」(1945年 ユネスコ憲章)

(チャプレン大西 修)

今回の聖書は、あのマザー・テレサが好んで良く利用した箇所です。

「わたしが飢えていた時に食べさせてくれ、わたしが見知らない者であったのに、喜んで迎え入れてくれ、裸の時に着せてくれ、病気の時に介抱してくれた。私たちの仕事の土台は、このイエスの言葉なのです。」

40節にあるイエスの言葉「はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。」を、彼女はこのように実践で活用しました。

私たちにも、このような「座右の銘」が与えられるといいなあと思いますが、どうでしょう。

礼拝、お待ちしています!(^^)!

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●テーマ:「何のために生きるのか?」
●聖書箇所:【マタイによる福音書25:31-46】
25:31 「人の子は、栄光に輝いて天使たちを皆従えて来るとき、その栄光の座に着く。
25:32 そして、すべての国の民がその前に集められると、羊飼いが羊と山羊を分けるように、彼らをより分け、
25:33 羊を右に、山羊を左に置く。
25:34 そこで、王は右側にいる人たちに言う。『さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。
25:35 お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、
25:36 裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。』
25:37 すると、正しい人たちが王に答える。『主よ、いつわたしたちは、飢えておられるのを見て食べ物を差し上げ、のどが渇いておられるのを見て飲み物を差し上げたでしょうか。
25:38 いつ、旅をしておられるのを見てお宿を貸し、裸でおられるのを見てお着せしたでしょうか。
25:39 いつ、病気をなさったり、牢におられたりするのを見て、お訪ねしたでしょうか。』
25:40 そこで、王は答える。『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』
25:41 それから、王は左側にいる人たちにも言う。『呪われた者ども、わたしから離れ去り、悪魔とその手下のために用意してある永遠の火に入れ。
25:42 お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせず、のどが渇いたときに飲ませず、
25:43 旅をしていたときに宿を貸さず、裸のときに着せず、病気のとき、牢にいたときに、訪ねてくれなかったからだ。』
25:44 すると、彼らも答える。『主よ、いつわたしたちは、あなたが飢えたり、渇いたり、旅をしたり、裸であったり、病気であったり、牢におられたりするのを見て、お世話をしなかったでしょうか。』
25:45 そこで、王は答える。『はっきり言っておく。この最も小さい者の一人にしなかったのは、わたしにしてくれなかったことなのである。』
25:46 こうして、この者どもは永遠の罰を受け、正しい人たちは永遠の命にあずかるのである。」

●説教:中尾 志朗 司祭(一宮聖光教会)
●日時:7月2日(火)
3限 13:10~:保育科1年ABクラス、2年CDクラス、保育専攻科、教職員
4限 14:50~:保育科1年CDクラス、2年ABクラス、保育専攻科、教職員
●場所:チャペル

●次回以降の予定
・7/9(火)通常礼拝(チャペル)お話(3限):成瀬英雄先生 説教(4限):大西チャプレン
・7/16(火)通常礼拝(チャペル)説教:大西チャプレン
・7/23(火)通常礼拝(チャペル)説教:大西チャプレン【前期最終】

「これらの大きな建物を見ているのか。1つの石もここで崩されずに他の石の上に残ることはない」(マルコによる福音書13:2)

神殿の境内を出て行く時、一人の弟子がイエスに向かってこう言いました。「先生、御覧ください。なんとすばらしい石、なんとすばらしい建物でしょう(13:1)。」するとイエスは表題にある御言葉をお返しなさったのです。

今回学んだ内容は以下の通りです。

・物よりも愛や心を大切にする、イエスの基本姿勢。
・「石が、絶対に崩れ去らない石の(=基礎の石)の上に残されることは決してない。」と訳した方が分かり易い。つまり基礎以外の石は全部破壊されるということ。
・この箇所は、紀元70年、ローマ軍によって攻撃され廃墟と化したエルサレム神殿の姿をイエスが予言されていると論じられることが多い。でも、イエスの純粋な本性に倣い、これは一般論としてお話になっていると考えた方が自然。
・栄華を極めた荘厳な建物は、しょせんは人間が作ったものでしかない。それよりも大切なのは愛や心である。「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。(マタイ6:33)」とイエスが語る通りである。
・祈りは立派な建物がなくても出来る。そんな建物を神が要求なさるとは思われない。場所にこだわらないイエスは次のように語る。「婦人よ、わたしを信じなさい。あなたがたが、この山でもエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る。(ヨハネ4:21)」(Y)


学食の花瓶

【ローマの信徒への手紙12:9-17】
12:9 愛には偽りがあってはなりません。悪を憎み、善から離れず、
12:10 兄弟愛をもって互いに愛し、尊敬をもって互いに相手を優れた者と思いなさい。
12:11 怠らず励み、霊に燃えて、主に仕えなさい。
12:12 希望をもって喜び、苦難を耐え忍び、たゆまず祈りなさい。
12:13 聖なる者たちの貧しさを自分のものとして彼らを助け、旅人をもてなすよう努めなさい。
12:14 あなたがたを迫害する者のために祝福を祈りなさい。祝福を祈るのであって、呪ってはなりません。
12:15 喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。
12:16 互いに思いを一つにし、高ぶらず、身分の低い人々と交わりなさい。自分を賢い者とうぬぼれてはなりません。
12:17 だれに対しても悪に悪を返さず、すべての人の前で善を行うように心がけなさい。

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止揚学園の福井達雨 1932(昭和7)年滋賀県近江八幡市に生まれる。1956(昭和31)年.同志社大学神学部に学ぶ。学生時代から障害児の教育(教育心理学を専攻)と差別問題に取り組む。

1962(昭和37)年、20歳の時初めて精神年齢1歳ぐらいの知能に重い障害をもつ子どもたちに出会い、大きなショックを受け、自分の無知と傲慢に気づかされ、27歳の時から知能に重い障害をもつ子どもの施設を作り始め、1972(昭和47)年、30歳の時「止揚学園」を設立。今年でこの働きを始めて60年、設立57年になる。今年87歳。

止揚学園の「止揚」(アウフヘーベン・Aufheben)とは?
ヘーゲルの弁証哲学用語
・あるものを、そのものとしては否定しながら、さらに高い段階で生かすこと。
・矛盾するものをさらに高い段階で統一し解決すること。
・二つのものが一つになって、今よりももって高い次元に入って大きなものに変わっていくこと。

知能に重い障害をもつ子どもたちの将来を思い描きながらこの学園名が付けられた。

彼に感化を与えた人たち

~韓国人、海南島(ナメドン)出身。20歳で来日。結婚し、のちに帰化。在日1世としての民族差別、結婚差別を受ける。*メレル・ヴォ―リスとの出会いから、近江兄弟社のドライバーとして奉職。戦後、満州奉天(現在の瀋陽)から引き揚げて来る。信仰の確立は「謙虚であること」「感謝を忘れないこと」「希望を失わないこと」「忍耐をもつこと」にあると、日常生活を通して達雨に教えた。他人のうわさ話、非難を口にしない人だった。106歳で死去。

*ウイリアム メレル ヴォーリズ(William Merrell Vories)一柳米来留(ひとつやなぎめれる)1880(明治13)年10月28日~1964(昭和39)年5月7日83歳で逝去。米国カンザス州生まれ。建築家、社会事業家、信徒伝道者。「近江兄弟社」の創立者の一人、メンソレータムを普及させた。

~日本人。高2の時、38歳で死去。3男1女の母。達雨は長男。キリスト者として戦争に反対し、天皇は神にあらずと主張し、「非国民」の汚名を着せられ、孤独で苦しく、大変な時を過ごしたが、それに負けることなく、信仰をもって明るく生き生きと過ごしていた。彼は「非国民の子ども」といじめられ、友だちとして遊んでもらえなかったため、母を憎んだこともあった。母のそんな姿が、わがまま、利己的な人間、子供への愛のない人間としかその当時、彼には映らなかった。母の素晴らしさがわかってきたのは、知能に重い障害をもつ子どもたちと共に生き始めてからだった。小中学生時代、友だちと遊んでもらえない孤独な日々を過ごしたが、その試練こそ、知能に重い障害をもつ子どもたちと共に生きる源になった。と彼は言う。

「いろいろな試練に出会うときは、この上ない喜びと思いなさい。信仰が試されることで、忍耐が生じます。試練を耐え忍ぶ人は幸いです。」(ヤコブ1:1-3,12)

一柳(ひとつやなぎ)満喜子先生 1884(明治17)年~1969(昭和44)年 85歳1919(大正8)年 35歳でウイリアム メレル ヴォーリズと明治学院で結婚。達雨の幼稚園教師(清友幼稚園1922年~現・近江兄弟社幼稚園)。厳しい先生だったが怖い先生ではなかった。怖さの中には冷たさがあるが、厳しさの中には温かさ、ぬくもりがあり、優しさがあった。人間的に言えば、「円満な人格者」ではなかったが、自分が弱さを持ちながら自らをキリストに向け、完全に向かって努力し、そこから自分の人格のすべて、弱いことも強いことも、達雨にぶつけて、聖書を、キリストを、人間の生き方を教えてくれた先生出会った。その先生との人格的な関わりの中で、知能に重い障害をもつ子どもたちの教育に入った。キリスト者、教育者に円満な人格者像はない。欠陥の多い人間が、弱い人間がキリストによって、子どもたちによって強くさせられ、完全に向かって歩もうとする努力者像を彼女から教えられた。「掃除」は心でするもので、見えないところをきれいにすることである、そんなことも日常生活の中で教えられたと彼は言っている。

光子夫人 香川県の浄土真宗寺院の娘で高校時代に洗礼を受け、18歳で開園したばかりの止揚学園を訪れ、30歳の達雨と出会い、21歳の時、33歳の達雨と結婚。結婚生活50 年間、主に見守られ、祈りつつ、達雨にとってかけがえのない伴侶として、止揚学園を世の光として輝かせてきた。彼は不器用ではあるが、実直で、イエス・キリストを信じ、希望をもって生きる姿勢に惹かれて歩んでいる。
彼女は止揚学園への募金に対するお礼として、いつも真心の籠った直筆で、園の様子、子どもの様子を生き生きと伝えてくださる謙虚さには頭が下がる。信仰とは人間が神を造り、信ずるのではなく、神が人間に信仰を与えてくださるものである。教育者とは、自分が子どもたちを選ぶのではなく、子どもたちに選ばれて、はじめて教育者になることができるのである。

知能に重い障害をもつ子どもたちへの偏見と差別

*施設を建てる時の反対運動~止揚学園の子どもが怖い、恐ろしい、環境が悪くなる。自分の子どもたちが外で遊べなくなる。止揚学園の子と遊ぶとアホになる。(大人が持っている偏見が、子どもたちの行動となって現れる) 著書「こわいことなんかあれへん」
*みんなが一緒に学んだり遊んだりできないことへの反対運動(学校教育)
*障害者お断わり(諸施設への入場制限、飛行機に乗れなかったことへの反対運動で、それをクリアーでき海外旅行に行ったこと~「みなみの島にいったんや」
*止揚学園の子どもたちが洗礼を受けられるようになったこと~これまでは、信仰告白をしなければ受けられなかった。その壁が取り払われたこと。

達雨は聖書のみ言葉と、それによって歩んできた上記の人々から、忍耐と練達、それが希望を生みだすことを実生活の中から学び、自らもその道を歩み続けているのである。

「わが子よ、主の鍛錬を軽んじてはいけない。主から懲らしめられても、力を落としてはいけない。なぜなら、主は愛する者を鍛え、子として受け入れる者を皆、鞭打たれるからです。おおよそ鍛錬というものは、当座は喜ばしいものではなく、悲しいものと思われるのですが、後になるとそれで鍛え上げられた人々に、義という平和に満ちた実を結ばせるのです。」(へブル12:4-5,11

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