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【感想】

イエスは人々に優しく、人々のために生きていた人物ですが、ただ優しいだけではなく優しさの中に厳しさがあったのだと思います。

神殿から商人を追い出す場面では、イエスの怒りは感じられますが、怒りの中に商人に対する「愛」があったのです。

イエスの優しさというのは、時には厳しく人々に接するということ。

それは柳城の先生や、実習園の先生にも言えることだと思います。私に厳しく言われる時もあるけど、それはきっと私に対して愛を持って言われているのだと、この聖書の学びで感じることができました。(YK)


柳城短大の桜

本年2019年に創立121周年を迎える本学は、「愛をもって仕えよ」(ガラテヤの信徒への手紙5章13節)の聖句を建学の精神として掲げ、事あるごとにこの聖句に立ち返って歩んできました。私たちが一番恐れることは、この聖句を知ってはいても、その精神が時の経過とともに形骸化してきているのではないかという点です。

「愛をもって仕え」るとは、具体的に何をどのようにすることなのでしょうか。

1895(明治28)年、マーガレット・ヤング初代校長が40歳で勇躍、海を越えてカナダから日本に来られた背景には、この聖句があったに違いありません。キリストに愛されている一人の人間として、その愛を人々に伝えたい、とりわけ、日本の女性たち、幼子たちに伝えたいという熱い信仰が、彼女を具体的な行動へと駆り立てたのです。

本来、仕えるとは、神を愛し、神に仕えること、神を大切にし、大事にすることです。神に造られたこの世の人々を愛し、大切にし、大事にすること、人々に仕えるとは神を愛することに他ならないのです。

現在、柳城での日々を過ごすわたしたちが、愛をもって仕えるために何が出来るのでしょうか。誰にでも出来ることがあります。

 第一は笑顔(スマイル)をいつも絶やさないこと。笑顔は人々の心に安らぎを与えます。

以前お話ししましたが、わたしが今は無き付属御器所幼稚園児の時に教えてもらった英語の朝の挨拶の歌“Such Happy Day”は今でも覚えています。

Such a happy day,  lalala  such a happy day,  lalala  I smile you.  You smile me.

such a happy day.  good morning.  good morning.

先生方、実習生が笑顔で一緒に歌っていた姿が今も瞼に焼き付いています。

笑顔で「おはようございます」「こんにちは」「さようなら」の挨拶を交わすことは、誰にでも出来ます。水曜礼拝の中での「平和のあいさつ」も大切にしていきたいと思います。心から笑顔で挨拶するときに、周囲が変わっていきます。教職員・学生間は勿論のこと、学内に来られる方々に笑顔で挨拶してください。構内をいつもお掃除してくださっている方々に「ご苦労様です」と笑顔で挨拶してください。数年前のNHKの朝ドラ「花子とアン」(ミッションスクールの東洋英和女学校がモデル)で、「ごきげんよう、さようなら」の挨拶がいつも交わされていたことに心和ませるものがありました。

第二は感謝の思いを言葉を態度で表すこと。なかなか素直に「ありがとう」と言えないわたしたちですが、「ありがとうございます」「ありがとう」と言うことです。そのひと言が出会う人を大事にし、大切にすること、愛することになります。ほんのちょっとしたことにも、感謝の意を表すことは相手への細やかな思いやりを感じさせますし、挨拶された人が一番嬉しい思いを持つのではないでしょうか。

 第三は人が避けたい、関わりたくない、嫌だなと思うことを進んですること。出来れば喜んでそのことをすることが、愛をもって仕える本当の生き方ではないかと思います。

神社仏閣がいつもきれいに掃除されていて、ゴミひとつないことには心打たれます。天理市にある天理教本殿は玄関で履物を脱ぎ、素足で神殿に入ります。廊下の床などはピカピカに磨かれており、トイレ(手洗い)も素足のままで使用します。信者によって驚くほどきれいに清掃されており、床を手で触れても全く汚れません。誰もが嫌がり、避けることを率先して行うことは、他の人を大事にし、大切にし、愛することにほかなりません。母親・父親は幼子のおむつを替えることを厭いません。幼子が大事であり、幼子を愛しているからです。校内をきれいにすること、ゴミなどが落ちていたら率先して拾うこと、トイレなどをきれいに使うこと、汚れていたら避けて通るのではなく、次に使う人のことを考えて、きれいにしておくことは、嫌なことかもしれませんが、愛をもって仕える一番簡単で大切なことです。次に使う人の笑顔を思い描きながら・・・・。

121 周年を迎える柳城が、建学の精神「愛をもって仕えよ」を、一丸となって日々の生活の中で実現していけますよう、共に励んでまいりましょう。

2019.4.3(1年生礼拝での教話~オリエンテーションの中で。2017.12  チャペルニュース原稿 巻頭言より転載)

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今回の礼拝オリエンテーションでは、「解説しながら礼拝を進める」という方式にチャレンジしてみました。キリスト教の礼拝を生まれて初めて経験する、ほとんどの新入生の皆さんにとっては優しいやり方だったと思います。大西チャプレンも楽しそうでした!(^^)!

2019年度の通常礼拝が始まります。
主の導きにより静寂な祈りの時が持てるよう、切に願いたいと思います。

さて、今回のテーマは今年度の年間聖句についてです。
「青年時代を楽しく過ごせ!」
「言われなくても、毎日やってますよ!」と皆さんにささやかれそうなテーマですが…(笑)

まあ、せっかくですので、この機会に聖書をじっくり読んで、その意味するところを考えてみてはどうでしょうか。この思考の訓練が、人生にきっと役立ちますよ(^o^)/

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●テーマ:「青年時代を楽しく過ごせ!」
●聖書箇所:【コヘレトの言葉11:9,12:1】
11:9 若者よ、お前の若さを喜ぶがよい。青年時代を楽しく過ごせ。心にかなう道を、目に映るところに従って行け。知っておくがよい/神はそれらすべてについて/お前を裁きの座に連れて行かれると。
12:1 青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ。苦しみの日々が来ないうちに。「年を重ねることに喜びはない」と/言う年齢にならないうちに。

●説教:大西チャプレン
●日時:4月9日(火)
3限:保育科1年ABクラス、保育科2年CDクラス、教職員
4限:保育科1年CDクラス、保育科2年ABクラス、保育専攻科1,2年、教職員
●場所:チャペル

●次回以降の予定
・4/16(火)説教者:大西チャプレン
・4/23(火)説教者:下原司祭(名古屋聖マタイ教会)
・5/7(火)礼拝&観劇会(同窓会企画)

入学式 2019

カテゴリー:入学式

2019年度入学式の模様をお届けします。
(式全体の流れは昨年度と同じですので、こちらをご覧ください。

●学長式辞

・ご入学おめでとうございます。

・保育科新入生のみなさん、入学おめでとうございます。保育専攻科に進学された皆さん、進学おめでとうございます。今日は、保育専攻科2年生、保育科2年生も全員参加、私たち教職員ほか関係者一同、学校挙げて新入生の皆さんを歓迎いたします。ちょうど庭の花壇にも春の花が咲きそろい、皆さんを歓迎・祝福しています。

・ある本の中で、5歳の子どものこんな質問が目に留まりました。「人間は何のために生きているの?」 なかなかむずかしい質問です。すぐには答えられません。答えは、人間は他の動物と違って、誰でも自分自身で目的や目標を持つことができる。そしてその目的や目標を達成しようと生きることで、生きる意味が生まれてくるというのです。皆さんもこの柳城でその答えを見つけていくことになります。一人ひとりがオンリーワンの人生に向かって、一歩一歩、意味のある自分自身の人生のドラマを作っていってください。

・名古屋柳城短期大学は1898年、カナダ聖公会の宣教師マーガレット・ヤング先生によって創設されました。本当に小さな保姆養成所からスタートしました。ヤング先生は、ドイツのフレーベルという教育者を尊敬しておられ、キンダーガルテン、「子どもの園」という意味ですが、子どものパラダイスであり、天国の園で遊ぶ子どもたちとともに大人も一緒に学び成長すると考えておられました。そして、新約聖書の「ガラテヤの信徒への手紙」から「愛によってたがいに仕えなさい」(By Love Serve)ということばを建学の精神とされました。

・赤ちゃんから幼児の時期が、人間としての基本的な性格が形成される、人間にとって最も大切な時期です。みなさんは日々成長している子どもたちの最も大切な時期に保育者としてかかわることになります。現在、4年制大学併設に向けて魅力的なキャンパスづくりを進めています。私たち名古屋柳城短期大学の教職員一同は皆さんの夢の実現を応援します。夢と希望をもって楽しい柳城生活を始めてください。

●理事長祝辞

ご入学おめでとうございます。

柳城での学びが始まります。短大は忙しいには違いありませんが、それがまさに人生勉強となりますので、一日一日をどうか大切にしてください。今年121年目を迎える本学院も一日一日の小さな結果を積み重ねてここまで歩んできました。その歴史を皆さんが受け継ぐことになります。創設者ヤング先生の厚い思いと信仰が今もここには流れています。『愛をもって仕えなさい』という建学の精神のひとつの表現として、小さな存在かもしれない子どもたちの命を大切にすることが挙げられます。そういった精神を学ぶためにも、どうか大学礼拝に出席してください。

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●前奏と司式者団入場

●聖書  ガラテヤの信徒への手紙 第5章1、13~14節

この自由を得させるために、キリストはわたしたちを自由の身にしてくださったのです。だから、しっかりしなさい。奴隷の軛(くびき)に二度とつながれてはなりません。兄弟たち、あなたがたは、自由を得るために召し出されたのです。ただ、この自由を、肉に罪を犯させる機会とせずに、愛によって互いに仕えなさい。律法全体は、「隣人を自分のように愛しなさい」という一句によって全うされるからです。

●新入生認証(保育科、専攻科保育専攻)

●歓迎のことば/誓いのことば

●平和の挨拶

 

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貴重な2年間です。
柳城短大にいる間でしか体験できないことを最優先にして、子ども達のために、高いものを求めて成長していって欲しいですね(^^♪ (加藤)

「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである。」(ルカによる福音書10:41-42)

柳城キャンパスニュースでもご覧いただけます】

―3.11東日本大震災を覚えての祈りをともにして―

 

東京にある立教大学に日帰りで行ってきました 名付けて「立教CV」(*^^)v

CVとは、campus visitの略で、文字通り立教大学の中を見学してきました。これは、今後立教大学の学生と交流していきたいというはじめの一歩なのです!!!

今回、立教大学に行ったメンバーは、名古屋柳城短期大学専攻科保育専攻の新2年生3名と、この春新たに専攻科に入学する新1年生1名、引率教職員2名の合わせて6名です。

なぜ、私たちが立教大学に行ったのかというと・・・

名古屋柳城短期大学と立教大学はなんとっ 同じ日本聖公会に連なる学校だったのです!!

(出発前、名古屋駅でパチリッ

 

どんなところなのか、どんな出会いがあるのか、ドキドキとワクワクで胸がいっぱいです(*’▽’)

立教大学に到着し、お昼ご飯を食べて、礼拝に参加しました。この日は、奇しくも8年前、東北に大きな爪痕を残した東日本大震災の起こった日でした。礼拝では「東日本大震災 8周年記念の祈り―同じ時 想いを一つに 皆で祈りをー」を、すべての逝去者、困難のうちにある方々を覚えて祈りました。私は、被災地に行ったことがありませんし、所縁があるわけでもありません。大学でのボランティア活動で被災地に毎月お茶菓子を送っていますが、正直なところ気持ちが徐々に薄れていっていたのは事実で・・・。しかし、8年がたった今でも行方がわからない方、つらい生活を強いられている方、悲しみの癒えない方が多くいます。チャプレンの勧話を通して、また、東京といういつもと違う場所にいること、そして何より礼拝の中で心に余裕をもてたことで、いかに自分が未熟だったのか改めて考えるきっかけになりました。実際に被災地に行くことで、ニュースを通してでは見えないものが見えてくるのではないか、そこから微力ながらも支えになれたらと思いました。

(立教大学池袋キャンパスの立教学院諸聖徒礼拝堂にて)

わたしたちの名古屋柳城短期大学と教会を介してつながりをもつこの立教大学を訪問して、さまざまなことを考えるきっかけを神様が下さったのは、何か意味があるからなのではないかと思います。そこで私は、いつか立教大学の学生と名古屋柳城短期大学の学生とが被災地の方々と交流できたらないいなぁと密かに想いをはせています(。-`ω-).。o○

(立教学院諸聖徒礼拝堂での祈りのあとで)

礼拝では、祈りのほかに、柳城の礼拝にはないものがありました。

それは・・・パイプオルガンとハンドベルの生演奏です♪♪ 素敵な音色で癒し効果は抜群です 柳城でも・・・なんてこちらもまた夢が広がります💖

 

それでは、またいい報告ができますよう、神様のお導きがありますように・・・☆彡

(保育専攻 市川満理奈)

(立教学院諸聖徒礼拝堂のオルガン)

 

※  ※  ※

 

この日の立教大学チャペルでの礼拝では、次の聖句が朗読されました。

【マルコによる福音書10:46-52】
一行はエリコに来た。イエスが弟子たちや大勢の群衆と一緒に、エリコを出られると、ティマイの子で、バルティマイと言う盲人が道端に座って物乞いをしていた。ナザレのイエスだと聞くと、「ダビデの子イエスよ、私を憐れんでください」と叫び始めた。多くの人々が叱りつけて黙らせようとしたが、彼はますます、「ダビデの子よ、私を憐れんでください」と叫び続けた。イエスは立ち止まって、「あの人を呼んで来なさい」と言われた。人々は盲人を読んでいった。「安心しなさい。立ちなさい。お呼びだ。」盲人は上着を脱ぎ捨て、躍り上がってイエスのところに来た。イエスは、「何をしてほしいのか」と言われた。盲人は、「先生、また見えるようになることです」と言った。イエスは言われた。「行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」盲人はすぐ見えるようになり、なお道を進まれるイエスに従った。

目の見えない人に丁寧に「何をしてほしいのか」と尋ねるイエスの姿勢に、自分がよいと思ったことを一方的に行うのではなく相手がしてほしいことを丁寧に行おうとするということが大事だ、という支援の一番大切なあり方を改めて学ぶことができました。

(村田)

 

(立教学院諸聖徒礼拝堂の聖書台)

【ヨハネによる福音書4章14節】
「わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水が湧き出る。」 

昨年のクリスマスに皆さんにお渡しした「ちゃぺるにゅーす」の巻頭言に、「オアシスの原点」というタイトルで、短いメッセージを載せましたが、読んでくださいましたか?

「オアシス」とは広大な砂漠の中に水が湧き出て、樹木が生えている緑地のことです。転じて「慰めと安らぎを与えるところ」という意味にもなります。

創設者マーガレット・ヤング先生は、柳城がオアシスとして名古屋の地でその役割を果たすことを、切望しておられたに違いありません。ここでいう柳城とは地理的な場所や建物を言うのではなく、柳城の働きに関わるすべての人々、幼子はもとより、教師、保育者、職員、学生とその親たち、卒業生、そして教会の信者さんたちなどを指します。

旧約聖書の詩編23編の中で、イスラエルの偉大な王であったダビデは「主は羊飼い、・・・主はわたしを青草の原に休ませ、憩いの水のほとりに伴い、魂を生き返らせてくださる」と歌っています。

柳城は今年創立121周年を迎えますが、現在オアシスとしての役割を果たしているでしょうか。羊飼いである神さまに導かれ、その呼びかけに答え、その愛に育まれた信仰を携えてカナダからはるばる来日されたヤング先生は、神さまが与えてくださる愛の水(命の水)が湧き、緑豊かな木々の息吹きが、多くの人々に清らかで暖かな心を与えるような柳城の成長を願い、30余年間を名古屋の柳城で全身全霊を注いで働かれました。

一昨年末亡くなられたノートルダム清心学院理事長の渡辺和子シスターは、オアシスの頭文字をとって次のように言っています。「オ」は「おはようございます」の「オ」、「ア」は「ありがとうございます」の「ア」、「シ」は「失礼します」の「シ」、「ス」は「すみません」の「ス」です。「おはようございます」、「ありがとうございます」、「失礼します」、「すみません」は、この砂漠のような時代に、人が人として生きていく上で基本的な挨拶の言葉です。

柳城がオアシスとしてその役割を担っていくためには、「おはようございます」、「ありがとうございます」、「失礼します」、「すみません」が、誰の口からもごく自然に出てくるような、そんな心があふれていることが大切です。そのためには、まず皆さんがそれぞれの家庭の中で、このオアシスの言葉が日々交わされるように、皆さんから率先して始めてみてください。そして柳城の中でも改めて今日から始めましょう。皆さんが笑顔をもって、明日のオープン・キャンパスに訪れる人々に、そして4月2日の入学式の日に新入生に進んで声を懸けましょう。それを何か照れくさいと思ったり、仰々しいと思う人がいたとしたら、多分その人は日ごろからオアシスを習慣にしていないのではないでしょうか。今年も幼稚園、保育園、こども園、児童養護施設、養護老人ホーム、障碍(がい)者支援施設などに実習に行きます。その時、忘れず率先してオアシスを使ってみてください。勿論、一年後、卒業し社会人として働くことになるどのような職場にあっても同じです。オアシスは目上、目下の区別なく、誰に対しても大切なものだからです。

慰め、安らぎ、憩いを与えるオアシスとして、わたしたち(柳城)が人々と関わる時、そこに一人一人を大切にし、生かしてくださるイエス・キリストの愛が、目に見える形で「愛をもって仕える」具体的な姿として実現しているのです。

イエス・キリストがおられるところがオアシスです。クリスマスのお話では、社会の片隅で貧しく、卑しい人間として蔑まれていた羊飼いたち、そして異邦人でありながら、遠路はるばる救い主を訪ねてやって来た占星術の学者たち、その人たちにとって辿り着いたイエスさまがお生まれになったベツレヘムの家畜小屋こそオアシスでした。

クリスマスの出来事は、わたしたちは勿論のこと、全世界中の人々にオアシスの素晴らしさを告げ知らせます。オアシスの原点こそ、神さまであり、その神さまがわたしたちにお送りくださったイエスさまなのです。わたしたちに慰めと安らぎと憩いを与えてくださるイエスさまは、悲しむ人、多くの悩みを持っている人、貧しい人、愛に飢え渇いている人、心と体に病を負っている人のオアシスとして、この世界に来られたのです。

昨日、マリナーズのイチロー選手が28年間にわたるプロ野球選手への引退表明をしました。連続10年間、200本安打、最終安打数4,367本という大記録はたぶん誰も抜くことはできないだろうと言われています。彼がインタビューに答えた言葉は素晴らしいものでした。「何の後悔もありません。ほかの人と比べることはできませんが、自分として精一杯頑張ってやってきましたから。」

わたしたちもこの1年間、オアシスの働きの一端を担う者として、人と比べるのではなく、自分として精一杯努力して、与えられた道を進んでいきましょう。 (チャプレン 主教 大西 修)


チューリップ

今回の聖書箇所は…
イエスに触れていただくために、人々が子供たちを連れて来た。弟子たちはこの人々を叱った。しかし、イエスはこれを見て憤り、弟子たちに言われた。「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」そして、子供たちを抱き上げ、手を置いて祝福された。(マルコ10:13-16)

実習園で子どもたちと接したり関わって思うことは、子どもは素直でまっすぐだなということです。

大人になるにつれて、面と向かって相手にはっきりと言えたことが人と合わせるようになったり、反抗的な態度になったりしてしまいます。

2000年前のユダヤの子どもというのは、今とは違って価値のないものとして扱われていました。

弟子たちはイエスを変に気づかって、子どもが近づくのを嫌い、親を叱りつけました。

そんな弟子たちにイエスは、「子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」と伝え、子どもたちを抱き上げて祝福されました。

「子供のように神の国を受け入れる」というのは、一つには「子どものように素直に神の国を受け入れる」という意味で、だから子どもたちは誰よりも神の国に近いのだとイエスは語りました。(子どものような価値のない弱者を受け入れるような気持ちをもって神の国を受け入れる、という解釈もできるそうですが)

そんな子どもたちが大好きだったイエス。そしてイエスがいたからこそ今の私がいて、そんな私も子どもと携わる仕事を目指して毎日頑張っています。

子どものような素直さを忘れずに、イエス・キリストの愛を感じながら過ごしていきたいと思います。


押し花作り

【マルコ9:35】「いちばん先になりたい者は、すべての人の後になり、すべての人に仕える者になりなさい。」

シェア18ではマルコ9:33~37の記事を通しイエスが導く「サーバント(召使い的)リーダー」のあるべき姿を学ぶことができました。

イエスと弟子たち一行はカファルナウムにお着きになりました。そこでイエスは弟子たちに「道すがら何を議論していたのか」と突然お尋ねになりました。

その質問に弟子たちは何も言えませんでした。それは、「だれがいちばん偉いか」と議論しあっていたからです。「これはヤバイ」とで思ったのでしょうか。案の定、イエスは弟子たちを呼び寄せ、このように諭されました。

「いちばん先になりたい者(偉くなりたい者)は、すべての人の後になり、すべての人に仕える者になりなさい。」と。

そして、その場にいた一人の子どもを大人たちの真ん中に立たせ、抱きあげられ「わたしの名のために、このような子供の一人を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。わたしを受け入れる者は、わたしではなくて、わたしをお遣わしになった方を受け入れるのである。」と重ねて諭されたのです。

当時のイスラエルでは、名前はその人のいわば本質を表すほど重要なものでした。また、子どもの価値は現代とは大きく異なり大変低いものでした。だから「わたしの名のために」このような子どもを受け入れるということは、師であるイエス・キリストの名を汚さないつもりで、「価値のないもの」とされている弱い立場の子どもを受け入れるということです。

今回、私はイエスの姿から、サーバントリーダーのあるべき姿、必要な本質を感じ取ることができました。イエスは常に弱い側にたつ人間の視点に徹しています。実際にイエスは罪人呼ばわりされている人やのけ者にされている人の味方で、その人たちと共に食事をなされ、時には癒しを与えられています。そしてご自身、「わたしを受け入れる者は、わたしではなくて、わたしをお遣わしになった方(神)を受け入れるのである。」とあくまでも謙虚に、「わたしを見よ」ではなく「神を見よ」と言って、成し遂げられた栄光を神に返されています。

私はその謙遜な姿こそ、サーバントリーダーに必要な真の姿であると感じます。

弱者の視点に徹するイエスの姿を学ぶことは、私自身のつたなさを感じると同時に、日常ではほとんど味わえない「喜び」でもあります。次回も与えていだだける学びに感謝し、イエスの愛に学んでいきます。


バージニアストック

卒業式 2018

カテゴリー:卒業式

3/16(土)に行なわれた卒業式についてお伝えします。
式の流れは昨年とほぼ同じなので、こちらをご覧ください。

今年の主な内容をご紹介します。

●式辞:名古屋柳城短期大学 学長 長縄 年延

・「チコちゃんに叱られる」というテレビ番組で「大人になるとあっという間に一年が過ぎるのはなぜ?」というテーマが扱われていました。答えは「人生にトキメキがなくなったから」。確かに、子どもは毎日をときめいて過ごしています。特に幼稚園の時期の子は様々な事柄に関心を持ち疑問を抱くものです。毎日が成長の連続なので、大人に較べると一年が長く感じられるのも確かでしょう。保育の道に進まれる多くの皆さんには、ぜひ、子どもたちと一緒になってトキメキの人生を歩んで欲しいのもです。

・これからの長い人生、色々な人と出会い、結婚をして自分の子を育て、保育などの仕事をしていく中で、苦しいこともありましょう。でも『愛をもって仕えなさい』という建学の精神を思い出しながら、一人ひとりがオンリーワンの人生である様に祈っています。本学も「新しい歴史への創造と愛」をテーマに、未来に向かって前進を続けてまいります。

●祝辞:学校法人 柳城学院 理事長 主教 ペテロ 渋澤 一郎

社会に巣立つ皆さんに向けて、二つの事をお伝えしたいと思います。

①建学の精神である『愛をもって仕えなさい』を職場や家庭の中で思い出してください。「愛をもって仕えようとしているのか」と自分自身に問いかけることによって、私たちは人格を高める方向に自身を変えていけるのです。

②イエス・キリストは言われました、「蛇のように賢く、鳩のように素直になりなさい。(マタイ10:16)」。「蛇」はキチンと考えて良い知恵を働かせることの象徴です。時には、真実でも言わない方が良いこともあるでしょう。「鳩」は誠実に物事を受け入れる心のあり方を表わします。先ずは受け入れるという素直さが愛を生み出すのです。この「蛇」と「鳩」とを両方兼ね備えることで、私たちはバランスの取れた人間として歩んでいけるのです。

●後援会会長挨拶 川口 貴美

・保育現場では仲良く助け合う関係作りが大切です。子どもたちはそれを見て優しい子に育っていきます。幼稚園や保育園に子どもが喜んで行く姿を見て、親は安心しますし信頼も寄せてくれます。そうなれば親は園に協力的になってくれます。

・建学の精神『愛をもって仕えなさい』を忘れずに、子ども、同僚、親御さんを思いやる心を大切にしてください。保育現場で子どもが虐待されるというニュースが時々出ますが、その場に思いやりのある人がいれば、問題が起こるようなことは決してありません。愛をもって働くことで、世の中は良くなるし、暴言を吐く人もいなくなります。

●同窓会会長挨拶 加藤 久美子(監査役)

・社会に出たらスマイルを忘れずに! そして頭を使い続けていれば、年をとっても元気でいられますよ。

・皆さんには4つのHを心がけて欲しいと思います。頭(Head)でしっかり考え、優しさと思いやりの心(Heart)で人に接し、健康(Health)に気を配り、そして幸せ(Happy)を感じて生きること。

・今日からは皆さんは柳城のぞみの会の仲間ですよ。幸せをお祈りしています。

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●入場する司式者団

●卒業証書・修了証書・学位記 授与

 
 

●送辞

 

●答辞

 

●記念品贈呈

 

●表彰
①社団法人全国保育士養成協議会 会長表彰

②社団法人日本介護福祉士養成施設協会 会長表彰

●教職員による聖歌 476番「暗闇行くときには」

●卒業生・修了生による聖歌 417番「あなたの平和の」

●平和の挨拶

●卒業パーティー

 
 
 

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卒業する皆さん全員が柳城の精神を忘れず、こだわりの人生を歩まれるよう、神のお導きを心からお祈りします。(加藤)

「わたしは道であり、真理であり、命である。」
(ヨハネによる福音書14:6)

柳城キャンパスニュースもご覧ください】

【コリントの信徒への手紙第10章13節】
「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。」

まず初めに皆さんと共に、8年前の2011年3月11日、午後2時46分、東北地方を襲った東日本大震災による地震、津波、福島第1原子力発電所の放射能汚染事故による多くの死者/行方不明者/関連死者合わせて22,131人、また今尚、プレハブの仮設住宅での生活を余儀なくされている3,100人、そして各地で避難生活をされている52,000人の方々を覚えて祈りましょう。(しばらく黙祷)

改めて、皆さん、卒業・修了、終業おめでとうございます。

柳城での2年間、3年間、4年間の学生生活を振り返ってみて、今どんな思いでここに集まっていますか。皆さんひとりひとりが、それぞれ違った思いをもって、この時を迎えていることでしょう。入学した時のことを思い出してみてください。何を考え、どんな夢を描いていましたか。そして、今卒業していこうとするこの時、皆さんの思いは、入学した時に持っていた思いと比べてみてどうでしょうか。同じですか、変わりましたか? 多分、だいぶ変わったのではないかと思います。こんなはずじゃなかった、現実は思っていたほど甘くはなかった。正直なところ、そんな心境でいるのではないでしょうか。

そして4月から始まろうとしている新しい職場での日々を想像するだけで緊張して、夢や希望や期待よりも、未知への生活への不安や心配のほうが、はるかに大きく心をとらえているのではないかと思います。

さて「艱難汝を玉にす」ということわざがあります。(Adversity makes a man wise.)

聞いたことがありますよね。人は、困難や苦労など大変なこと、すなわち試練を乗り越えることによって、大きく成長していく。逆境や試練は人を賢くするという意味のことわざです。

柳城の創設者(柳城保姆養成所初代校長)マーガレット・ヤング先生の85年間にわたるご生涯を顧みる時、まさにこのことわざが当てはまります。

1895(明治28)年、40歳で来日、1922(大正11)年、67歳で病状悪化のため10数年帰国、その後再来日され、約30年間働かれ1940(昭和15)年に名古屋で亡くなられました。ヤング先生は病弱で物静かな方でしたが、一面ではとても芯の強い方でした。それは神さまの愛に包まれていることを固く信じて絶えず生きてこられたからです。その当時40 歳で単身カナダから日本に来るということは、想像を絶する大きな決断だったと思われますが、彼女は神さまの愛を信じて、それを決行しました。そのままカナダにいれば、社会的にも経済的にも安定した生活と地位が保証されましたがそれを投げ打って、今で言うならば、阪神淡路大震災、東日本大震災に匹敵する濃尾大地震(1891、明治24年)の中で、家や親を失った子どもたちへの援助の手を差し伸べるために、イエスさまが自らの命を投げ出されて示された愛のお姿に従って来日されたのです。今のわたしたちには想像も及ばないような、困難や苦労、試練を体験し、それを乗り越えることによって、素晴らしい愛の実践者、名古屋における保育者の母となることを、神さまはお許しになりました。

最初に読まれた聖書のみ言葉「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。」が、きっと彼女の中にいつも生きていたのではないかと思います。

柳城の見学の精神を表わす「愛をもって仕えよ」のみ言葉を実行しようとする時には、常に試練が伴い、困難、苦労が付きまといます。でも、そこには必ず神さまがあなたと共にいてくださり、あなたを支え、守り、励ましてくださることを信じてください。それを信じることができるなら、どんな試練にも困難、苦労にも正面から向き合っていくことができます。

3月は柳城の初代校長のヤング先生(3/29 85歳)、そのあとを継がれた2代目校長のボーマン先生(3/24 87歳1965年・昭和40年)、そして第3 代短大学長西原新一先生(3/15 89歳 1992年・平成4年)がお亡くなりになった月です。

2代目校長のボーマン先生もカナダで小学校教師、さらに大学で学び、宣教師としてアフリカでの学校教師を目指し、病院で看護の研修も積んだが、医師から体質的にアフリカでは3年は持たないと言われ、さらにインド、中国を志願したがそれもかないませんでした。そんな時、期せずして日本で働く道が開かれた。ボーマン先生がカナダから日本に旅立つ時、ある牧師が先生に送った聖書のみ言葉は「主は今、こう言われる。恐れるな、わたしはあなたをあがなう。あなたはわたしのもの。わたしはあなたの名を呼ぶ。水の中を通るときも、わたしはあなたと共にいる。大河の中を通っても、あなたは押し流されない。火の中を歩いても、焼かれず、炎はあなたに燃えつかない。わたしは主、あなたの神、あなたの救い主。」(イザヤ43:1~3)でした 先生はこのみ言葉に大いに励まされたそうです。1ケ月半の長い船旅で来日、その後、日本語を学びながら東京、岐阜、大阪、松本、豊橋で働かれ、そしてヤング先生の最適の後任校長として1922(大正11)年から1941 (昭和16)年まで19年間、本学のために尽くされました。着任早々、44歳の時、幼稚園教師の免許を取得するためカナダ・トロントの師範学校で学ばれ卒業されています。

第3 代短大学長西原新一先生は1971(昭和46)年から1992(平成4)年までの20年間本学最初の男性の学長として働かれ、短大の新たな改革に積極的に取り組まれ、定員増も2回されました。また海外、特にアジアからの留学生の受け入れにも尽力されました。

皆さんが柳城で聴いた「愛をもって仕えよ」のみ言葉、ヤング先生やボーマン先生、西原先生が神さまの愛に生かされ歩まれた80年を超えるご生涯を、これから先、何か困難なことがあり、悩みに出会った時、ちょっと立ち止まって思い出してみてください。きっと大きな励ましを受けることでしょう。そこで皆さんが柳城で学んだ、目に見えない大きな収穫が、得られるものと信じます。

皆さんのこれからの日々が、神さまの愛に包まれて心身共に健やかに過ごせますよう、いつも祈りのうちに覚えます。主の平和が皆さんと共にありますように。(チャプレン 大西 修 主教)

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