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【コリントの信徒への手紙第10章13節】
「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。」

まず初めに皆さんと共に、8年前の2011年3月11日、午後2時46分、東北地方を襲った東日本大震災による地震、津波、福島第1原子力発電所の放射能汚染事故による多くの死者/行方不明者/関連死者合わせて22,131人、また今尚、プレハブの仮設住宅での生活を余儀なくされている3,100人、そして各地で避難生活をされている52,000人の方々を覚えて祈りましょう。(しばらく黙祷)

改めて、皆さん、卒業・修了、終業おめでとうございます。

柳城での2年間、3年間、4年間の学生生活を振り返ってみて、今どんな思いでここに集まっていますか。皆さんひとりひとりが、それぞれ違った思いをもって、この時を迎えていることでしょう。入学した時のことを思い出してみてください。何を考え、どんな夢を描いていましたか。そして、今卒業していこうとするこの時、皆さんの思いは、入学した時に持っていた思いと比べてみてどうでしょうか。同じですか、変わりましたか? 多分、だいぶ変わったのではないかと思います。こんなはずじゃなかった、現実は思っていたほど甘くはなかった。正直なところ、そんな心境でいるのではないでしょうか。

そして4月から始まろうとしている新しい職場での日々を想像するだけで緊張して、夢や希望や期待よりも、未知への生活への不安や心配のほうが、はるかに大きく心をとらえているのではないかと思います。

さて「艱難汝を玉にす」ということわざがあります。(Adversity makes a man wise.)

聞いたことがありますよね。人は、困難や苦労など大変なこと、すなわち試練を乗り越えることによって、大きく成長していく。逆境や試練は人を賢くするという意味のことわざです。

柳城の創設者(柳城保姆養成所初代校長)マーガレット・ヤング先生の85年間にわたるご生涯を顧みる時、まさにこのことわざが当てはまります。

1895(明治28)年、40歳で来日、1922(大正11)年、67歳で病状悪化のため10数年帰国、その後再来日され、約30年間働かれ1940(昭和15)年に名古屋で亡くなられました。ヤング先生は病弱で物静かな方でしたが、一面ではとても芯の強い方でした。それは神さまの愛に包まれていることを固く信じて絶えず生きてこられたからです。その当時40 歳で単身カナダから日本に来るということは、想像を絶する大きな決断だったと思われますが、彼女は神さまの愛を信じて、それを決行しました。そのままカナダにいれば、社会的にも経済的にも安定した生活と地位が保証されましたがそれを投げ打って、今で言うならば、阪神淡路大震災、東日本大震災に匹敵する濃尾大地震(1891、明治24年)の中で、家や親を失った子どもたちへの援助の手を差し伸べるために、イエスさまが自らの命を投げ出されて示された愛のお姿に従って来日されたのです。今のわたしたちには想像も及ばないような、困難や苦労、試練を体験し、それを乗り越えることによって、素晴らしい愛の実践者、名古屋における保育者の母となることを、神さまはお許しになりました。

最初に読まれた聖書のみ言葉「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。」が、きっと彼女の中にいつも生きていたのではないかと思います。

柳城の見学の精神を表わす「愛をもって仕えよ」のみ言葉を実行しようとする時には、常に試練が伴い、困難、苦労が付きまといます。でも、そこには必ず神さまがあなたと共にいてくださり、あなたを支え、守り、励ましてくださることを信じてください。それを信じることができるなら、どんな試練にも困難、苦労にも正面から向き合っていくことができます。

3月は柳城の初代校長のヤング先生(3/29 85歳)、そのあとを継がれた2代目校長のボーマン先生(3/24 87歳1965年・昭和40年)、そして第3 代短大学長西原新一先生(3/15 89歳 1992年・平成4年)がお亡くなりになった月です。

2代目校長のボーマン先生もカナダで小学校教師、さらに大学で学び、宣教師としてアフリカでの学校教師を目指し、病院で看護の研修も積んだが、医師から体質的にアフリカでは3年は持たないと言われ、さらにインド、中国を志願したがそれもかないませんでした。そんな時、期せずして日本で働く道が開かれた。ボーマン先生がカナダから日本に旅立つ時、ある牧師が先生に送った聖書のみ言葉は「主は今、こう言われる。恐れるな、わたしはあなたをあがなう。あなたはわたしのもの。わたしはあなたの名を呼ぶ。水の中を通るときも、わたしはあなたと共にいる。大河の中を通っても、あなたは押し流されない。火の中を歩いても、焼かれず、炎はあなたに燃えつかない。わたしは主、あなたの神、あなたの救い主。」(イザヤ43:1~3)でした 先生はこのみ言葉に大いに励まされたそうです。1ケ月半の長い船旅で来日、その後、日本語を学びながら東京、岐阜、大阪、松本、豊橋で働かれ、そしてヤング先生の最適の後任校長として1922(大正11)年から1941 (昭和16)年まで19年間、本学のために尽くされました。着任早々、44歳の時、幼稚園教師の免許を取得するためカナダ・トロントの師範学校で学ばれ卒業されています。

第3 代短大学長西原新一先生は1971(昭和46)年から1992(平成4)年までの20年間本学最初の男性の学長として働かれ、短大の新たな改革に積極的に取り組まれ、定員増も2回されました。また海外、特にアジアからの留学生の受け入れにも尽力されました。

皆さんが柳城で聴いた「愛をもって仕えよ」のみ言葉、ヤング先生やボーマン先生、西原先生が神さまの愛に生かされ歩まれた80年を超えるご生涯を、これから先、何か困難なことがあり、悩みに出会った時、ちょっと立ち止まって思い出してみてください。きっと大きな励ましを受けることでしょう。そこで皆さんが柳城で学んだ、目に見えない大きな収穫が、得られるものと信じます。

皆さんのこれからの日々が、神さまの愛に包まれて心身共に健やかに過ごせますよう、いつも祈りのうちに覚えます。主の平和が皆さんと共にありますように。(チャプレン 大西 修 主教)

今回の福音書は「イエスとサマリアの女」が扱われます。

イエスの時代、ユダヤ人はサマリア人を憎み差別していました。もともとは「イスラエル民族」というくくりでは仲間だったのですが、歴史の悲劇によって両者は分断されてしまったのです。そんな状況の中、イエスが旅の途中、サマリアの女に「水を飲ませてください」と気軽に声をかけるところから物語は始まります。彼女は最初、ユダヤ人であるイエスを冷たくあしらいます。

でも、この女はもともと信仰が厚かったみたいで、イエスとの会話のやり取りを通して、イエスがキリスト(救い主)であるかもしれないと感じるようになります。それで彼女は町の人々にもイエスのことを伝えます。そして何と2日後には、そのサマリアの町の人々は、イエスがユダヤ、サマリア、イスラエルなどという狭い範疇を超えた「世界の救い主」であることを理解するのでした。

差別される側のサマリア人がイエスのことを素直に理解していったという、この痛快な物語の中で語られるイエスの言葉を、私たちもじっくり味わってみたいですね(^^♪

礼拝、お待ちしています(^o^)/

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●テーマ:「オアシスになろう」
●聖書箇所:【ヨハネによる福音書4:14】
「しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」

●説教:大西チャプレン
●日時:3月22日(金) 11:20~(保育科/専攻科 新2年生)チャペル

●次回以降の予定
・4/2(火)2019年度 入学式(体育館)
・4/3(水)大学礼拝オリエンテーション(保育科1年生)チャペル

今回心に響いた御言葉は…
若者は言った。「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。御覧なさい。お納めした場所である。さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。『あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる』と。」(マルコによる福音書16:6〜7)

十字架の上で息を引き取られたイエスの遺体は、アリマタヤ出身のヨセフの手により埋葬されました。

ヨセフは総督ピラトにイエスのご遺体を早急に引き取らせてくれるよう懇願しました。それはその日が安息日の前日であったため律法の定め(申命記21:22)のとおり、「その日のうちに埋葬しなければならない」と考えていたためです。

許されたヨセフは、岩をくりぬいて作った墓にイエスを急いで埋葬しました。墓の入り口は、頑丈な石で塞がれおり、誰も中に入ることは出来ませんでした。

安息日が終わった週の初めの日、マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメは、買っておいた香料を持って墓に行きました。ところが近づいてみると、墓の入り口にあった大きな石は脇に転がされています。

驚いた彼女らが墓の中に入ってみると白い長い衣を着た若者が見えました。そしてその若者からイエスの「復活」が伝えられたのでした。

今回私は「神のご計画のもと、必要であった人間が、その時必要な行いをした」ということを実感しました。それは以下の点からです。

・アリマタヤのヨセフは身分の高い議員でしたので、保身のためか、自分がイエスの弟子であることを隠していました(ヨハネ19:38)。しかし十字架上の師イエスのお姿を見て黙っていられなくなり、勇気を出してピラトにイエスのご遺体を引き渡してくれるよう願い出たのでした。

・ピラトはヨセフにイエスのご遺体の引き渡しを許可しました。それは全く特別の待遇でした。本来十字架刑の人間はそのまま置き捨てられていたのです。

・女性たちは、最後まで十字架上のイエスの姿を見つめていました。また、埋葬される姿も彼女たちは見届けていました。その女性たちがイエスの復活をはじめて知る証人となったのです。

このように神から役割を与えられた人間は、一人ずつ神のご計画のとおり行動したのでした。

今回、41回にも渡ったマルコ通読の最終回となりました。

その中で私は福音書を通してイエスの御姿を学び、行動し、仰ぎ、ともに歩むことを学びました。その大切な行いをアリマタヤのヨセフが最後に見せ、私に教えてくれたと思っています。

イエスは、事前のお言葉どおり十字架に架かり、そして復活なされました。私たちクリスチャンは、イエスが自分の体の中に復活なさり生きておられることを感じ、喜びとしています。

私自身、クリスチャンになったばかりで、学びも浅い人間です。そんな私ですが、約2,000年前のアリマタヤのヨセフの「勇気」が、現代の私たちにイエスの復活を告げ知らしめるキッカケになったことに大きな喜びを感じています。

バイブルタイムでは、これからも福音書を通しイエスのお姿を学んでいきます。

「愛をもって仕えよ」
その建学の理念を礎に。
ヤング先生が愛した、子どもたちの未来のために。


折り紙チューリップ

今回の聖書箇所は「忍耐」を扱った有名な言葉です。

耐えられないような試練をあなたがたに会わせようとは神はなさらない。だから、先ずは耐えて頑張ってみなさい。神は乗り越える方法もちゃんと用意して下さるから・・・というのが趣旨で、この後に「だから、間違っても他の神に頼って偶像礼拝などしてはいけません」と続きます。パウロらしい力強い言葉です。イエス・キリストならば、こんな場合は「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。(マタイ11:28)」と声をかけて下さるのかもしれませんが。

人生に試練はつきもの。だから、苦しい時に心の支えになるものを持っている人は幸せですね。その支えの一つに聖書を加えてみてはどうでしょうか。

礼拝、お待ちしています(^^♪

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●テーマ:「試練に耐える」
●聖書箇所:【コリントの信徒への手紙一 10:13】
あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。

●説教:大西チャプレン
●日時:3月15日(金)
11:00~終業礼拝(保育科/専攻科1年生)【チャペル】
13:15~卒業・修了礼拝【体育館】
3月誕生日の祈りを行います。

●次回以降の予定
・3/16(土)卒業証書・修了証書 授与式
・3/22(金)2019年度 始業礼拝(新2年生)
・4/2(火)2019年度 入学式

今回心に響いた御言葉は…
しかし、イエスは大声を出して息を引き取られた。すると、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂けた。百人隊長がイエスの方を向いて、そばに立っていた。そして、イエスがこのように息を引き取られたのを見て、「本当に、この人は神の子だった」と言った。 また、婦人たちも遠くから見守っていた。その中には、マグダラのマリア、小ヤコブとヨセの母マリア、そしてサロメがいた。この婦人たちは、イエスがガリラヤにおられたとき、イエスに従って来て世話をしていた人々である。なおそのほかにも、イエスと共にエルサレムへ上って来た婦人たちが大勢いた。(マルコによる福音書15:37〜41)

イエスはゴルゴダの丘で十字架刑に処されました。昼の十二時には、全地が暗くなり、それが三時まで続いたと記されています。

その三時にイエスは「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ。(わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか)」と大声で叫ばれました。

そばに居合わせた人々は、これを聞いて、イエスがエリヤを呼んでいると思い「待て、エリヤが彼を降ろしに来るかどうか、見ていよう」とあざけり、イエスに気つけのための酸いぶどう酒を飲ませようとしました。

しかし、イエスはその時に大声を出して、息を引き取られたのでした。

私は今回の通読でも多くのことを学びました。

・マルコが伝えるイエスの最後の言葉は詩篇22篇1節です。この22篇は全篇が神への賛美の喜びに溢れており、イエスはその最初の1節を語ることで、神への栄光を示されたのです。
・イエスが息を引き取られたと同時に、神殿の一番聖なる場所(至聖所)を隠していた垂れ幕が裂けました。それは神殿の権威の喪失と、神が宗教指導者を離れて人民の側につかれたことを象徴するものでした。
・イエスの十字架刑を終始見守ったローマの百人隊長は「本当に、この人は神の子だった」と言いました。それは紛れもなく信仰の告白だったのです。
・十字架のイエスのお姿を遠くから女性たちが見つめていました。イエスを師と仰ぎ、彼の生活を支えていた女性たちです。しかし常にイエスと共にあった弟子たちの姿はそこにはありませんでした。

イエス・キリストは十字架の処刑を
自ら進んで受けられ  
迫害する者には悔い改めを  
暴力をふるう者には赦しを  
逃げて行く弟子には恵みを  
泣き叫ぶ女性には慰めを
祈られたのです。
【柳城短大  朝の祈り『人を愛する私たち』より】

マルコ通読も次回で最終回となります。
40回を越える恵みに感謝して、いっそう真摯に学びを進めて行きます。


プリムラ・マラコイデス

今回心に響いた御言葉は…
そこを通りかかった人々は、頭を振りながらイエスをののしって言った。「おやおや、神殿を打ち倒し、三日で建てる者、十字架から降りて自分を救ってみろ。」同じように、祭司長たちも律法学者たちと一緒になって、代わる代わるイエスを侮辱して言った。「他人は救ったのに、自分は救えない。メシア、イスラエルの王、今すぐ十字架から降りるがいい。それを見たら、信じてやろう。」(マルコによる福音書15:29〜32)

総督ピラトがイエスの死刑を決定するまでの間、ピラトは3度にわたり宗教指導者らや民衆たちにイエスの行ったことが罪にあたるのかどうかを問いました。指導者たちの企みが分かっていたピラトは本音としてはイエスを殺したくなかったのでしょう。

しかし民衆が「イエスを十字架につけろ」と騒いだことで、ピラトは自分の保身を選んだのでした。ユダヤの治安を乱すことは、自分の統治能力の低さを示すことになるからです。

判決を受けたイエスは、兵士らから侮辱を受けた後、十字架につけられるため外に引き出されます。そして、ゴルゴダの丘で十字架刑に処されたのです。左右二人の犯罪人とともに…

そこを通りかかった人は「おやおや、神殿を打ち倒し、三日で建てる者、十字架から降りて自分を救ってみろ(29〜30)」と言ってイエスをあざけります。同様に、祭司長、律法学者たちは、かわるがわる「他人は救ったのに、自分は救えない。メシア、イスラエルの王、今すぐ十字架から降りるがいい。それを見たら、信じてやろう(31)」と侮辱の言葉を放ちました。彼らは、イエスの苦しむ姿を見て心を痛めるどころか、さらにその苦しみに追い打ちをかけたのです。そこにはひと欠けらの悔い改めもありませんでした。そして最後まで「目に見えるしるし」にこだわり、イエスの心が結局最後まで理解できなかったのです。

今回の通読では多くのことが学べました。

・民を導くはずの宗教指導者らは、民衆らと同様にイエスをあざけり侮辱しました。その姿は、彼らが民衆と本質的には同じレベルの人間であることを証明したのです。
「他人は救ったのに、自分は救えない。」 イエスへのこの罵倒は、実はキリスト者への最高の誉め言葉だったのです!
・聖書に出てくる情けない人物を、読者はけなしてはいけない。その人物は私たちの姿かもしれないからです。私自身、いつピラトのように保身に傾くか分かりません。
・イエスの次元は私たち人間には計り知れない高みです。どのような状況下にあろうとイエスは「自分自身」を求めてはいなかった。ただ神の御心に委ね、十字架に身を置かれたのでした。

次回も真摯な心をもって、頭ではなく心で学びが感じられるよう努めていきたいと思います。主に感謝。


コスモス

今回心に響いた御言葉は…
しかし、イエスは黙り続け何もお答えにならなかった。そこで、重ねて大祭司は尋ね、「お前はほむべき方の子、メシアなのか」と言った。イエスは言われた。「そうです。あなたたちは、人の子が全能の神の右に座り、天の雲に囲まれて来るのを見る。」(マルコによる福音書14:61~62)

ゲツセネマで捕らえられたイエスは、祭司長、長老、律法学者らによってエルサレムにある最高法院の裁判にかけられました。そこではイエスを死刑とすることを前提とした権力者たちの愚問極まりない尋問が行われたのです。

イエスへの証言が食い違うのにしびれを切らした大祭司は、イエスに自ら問いただしました。「お前はほむべき方の子、メシアなのか(14:61)」と。すると、イエスはそれまで黙っておられましたが、その質問に「そうです(I am)」とお答えになられました。イエスは最高法院において御自身が「神の子メシア」であることを明言なさったのです。

イエスはその後連れられたローマ人総督ピラトの「お前がユダヤ人の王なのか(15:2)」との問いには、「それは、あなたがたが言っていることです。」とお答えになって「ユダヤの王」を否定されました。

今回、私はこの二つの尋問に着目し、尋問した彼らが重要視していたことを考えてみました。

ユダヤの宗教指導者たちはイエスを「神の子メシア」であるわけがないと断罪しました。それは彼らが、ソロモン、ダビデのような強くて立派に見える支配者こそメシアであると考えていたからです。だから、民衆から絶大な人気を誇っていたイエスが妬ましく、抹殺したい対象に思えて仕方がなかったのでした。

一方、ピラトの関心はローマにおいての自身の保身にありました。自分がユダヤの総督である間に社会的トラブルがあってはならない…。だから、イエスが「ユダヤの王」を否定したことをきっと安堵したはずです。

尋問した彼らの視点は、常に自分の保身であり、権威の維持でした。

イエスのお答えは彼らの視点とは全く次元が異なっています。イエスは「I am 」、その偽りの無い御言葉によって、私たちに、当時もそして今も神の子イエスそのものが「愛」であり「救い主」であることを宣言なさっています。それは「I am 」の返答が自身の死刑を決定することをご存知でも、常に「神の御心のまま」に行動された、まさに見返りのない愛だったのです。

イエスの受難は続きます。次回もイエスの御姿を学ぶことで私自身の信仰の礎を重ねていきます。


ヒマワリとスイセン

今回心に響いた御言葉は…
そこで、イエスは彼らに言われた。「まるで強盗にでも向かうように、剣や棒を持って捕らえに来たのか。 わたしは毎日、神殿の境内で一緒にいて教えていたのに、あなたたちはわたしを捕らえなかった。しかし、これは聖書の言葉が実現するためである。」(マルコによる福音書14:48〜49)

祭司長、律法学者、長老たちに遣わされた群衆が一団となり、イエスを捕らえるためゲツセマネにやってきました。その手引きをしたのは、彼の12弟子の1人であるユダでした。

イエスの存在を疎ましく思う権力者は、この時を待ちに待っていました。ついに彼らの「時」が来たのです。

その権力者に扇動され群衆たちは、愚かにも剣や棒を持ってやって来ました。でもイエスは、ご自身が死に追いやられようとする時でさえ、愚かな群衆を憐れむかのように「これは聖書の言葉が実現するためである」と語られました。

そのようなイエスの御言葉を、群衆たちはどう受け取ったのでしょうか。

もしかしたら、その群衆は頭が一瞬真っ白になり、剣や棒を振り上げたまま固まってしまったのではないかと私は想像しました。

一方、イエスを敬愛していたはずの弟子たちは、その「間」にイエスの元から散り散りに逃げていったのでした。

今回私は、記事の状況にいっそう深く入る事が出来ました。すると、イエスや弟子たち、群衆たちの息遣いが肌で感じられ、それによって福音書の理解が深まったと思います。

イエスの行動は、どのような時にも弱い人間への憐れみに満ちています。人間の本質である弱さや愚かさを熟知なさっていたのですね。すべては「御心のまま」として…。

イエスの憐れみ深い御姿は私達のなすべき行動の指針となります。

次回もその学びを大切に、イエスの受難への道を学んで行きます。


ナスタチウム

今回心に響いた御言葉は…

一同がゲツセネマという所に来ると、イエスは弟子たちに、「わたしが祈っている間、ここに座っていなさい」と言われた。そして、ペトロ、ヤコブ、ヨハネを伴われたが、イエスはひどく恐れてもだえ始め、彼らに言われた。「わたしは死ぬばかりに悲しい。ここを離れず、目を覚ましていなさい。」少し進んで行って地面にひれ伏し、できることなら、この苦しみの時が自分から過ぎ去るようにと祈り、こう言われた。「アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯をわたしから取りのぞけてください。しかし、わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように。」(マルコによる福音書14:32〜36)

イエスは十字架へと進まれる直前、弟子たちを伴われゲツセネマへと向かわれました。そこでイエスはお一人、弟子たちから少し離れた所で、父である神に祈られたのです。

何とその時、この世の人々が救世主と期待するイエスであっても、自身では逃れようのない苦悩を「死ぬばかりに悲しい」と嘆かれました。

十字架の直前、イエスは弟子たちに「人間イエス」を見せることで信仰のあるべき姿をお伝えになられたのでしょうか。

私自身今回、解説を聞きながら福音記事を深く読み取ることにより、子どもの頃から抱いていた「強く何でもできる方」であったイエス像を大きく転換させることになりました。

それは生身の人間イエスを知ることで、彼をより身近に感じられたと共に、私自身の肩の力が抜けてあたたかい感情や喜びが湧きあがった瞬間でした。

逃れられない「死」という使命を取り除いてくださいと、イエスはその弱さをあらわにして神に懇願されました。しかし、その直後、彼は神への全き信頼を示して「御心に適うことが行われますように」という謙遜な祈りを捧げられるのです

私はそのお姿こそ、真の信仰者、真のメシアであると感じます。

人生には不安や恐れ、苦しみが伴いますが、私はそんな時、イエスのこのお姿を思い出して、ひたすら神に祈ることが出来る人間は本当に「幸せ」であると思うのです😊✨

イエスの道は続きます。
次回もまなざしを深くして、真摯に学んでいきます。


ハーブのリース

今回心に響いた御言葉は…
一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えて言われた。「取りなさい。これはわたしの体である。」また、杯を取り、感謝の祈りを唱えて、彼らにお渡しになった。彼らは皆その杯から飲んだ。そして、イエスは言われた。「取りなさい。これはわたしの体である。」はっきり言っておく。神の国で新たに飲むその日まで、ぶどうの実から作ったものを飲むことはもう決してあるまい。」 (マルコによる福音書14:22〜25)

マルコ通読も35回を重ね「最後の晩餐」と言われている重要なシーンに入りました。

イエスは弟子たちとの語らいの中、楽しい食事が進むうちに、御自分が一人の弟子によって律法学者たちに引き渡されることをお伝えになったのです。

それを聞いた弟子たちは強く動揺し、「まさか私のことでは」と代わる代わる言い始めるのでした。

そんな最中、イエスはパンを引き裂き、弟子たちに「取りなさい。これはわたしの体である。」と語りかけられました。

そして杯を取り弟子たちに「これは、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である」とお渡しになられたのです。

今の聖餐式の起源はこの最後の晩餐に由来しています。つまり世界で最初の聖餐式は食事の最中に行なわれたのです。イエスがこだわられたこの日常性の意味を私は大切にしたいと思いました。

日々の忙しさにかまけて信仰から遠のきがちになる私たちに、「せめて食事をする時は私のことを思い出しなさい」とイエスは声をかけてくださっているのではないでしょうか。

イエスはいよいよ十字架の道へと進まれます。
次回も真摯にその御心を学びます。


真冬のヒマワリ

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