晴天の恵みの中、今年も無事に創立記念行事を終えることができました。主に感謝です。以下、式の模様を簡単にお伝えします。
■学校法人 柳城学院 創立120周年 記念礼拝 (午前9時30分~ 短大体育館)
●開始前
座席に配布された「創立120周年記念文集 思い出2」を手にする学生さんたち
●前奏と司式者団入場
●聖歌 第367番「イエスきみはいとうるわし」【創設者愛唱歌】
●詩編 第23編
●創立120周年記念の祈り
●聖書 ガラテヤの信徒への手紙 第5章1節、13~14節
●聖歌 第498番「主われを愛す」
●平和の挨拶
●主の祈り
●諸祈祷
・名古屋柳城短期大学のための祈り
・附属幼稚園のための祈り
・創立者及びこれまでの仕え人たちのための祈り
・本学院に関わるすべての逝去者のための祈り
●式辞 理事長 ペテロ 渋澤 一郎 主教
120周年の節目あたり、私たちは先達が作り上げた歴史を振り返るとともに、これからは自分たちで歴史を作り上げていくという意識を持つ必要があります。それは、特別な人に任せればよいというものではなく、一人ひとりに課せられた役割なのです。
聖書には「わたしたちもまた、このようにおびただしい証人の群れに囲まれている以上、すべての重荷や絡みつく罪をかなぐり捨てて、自分に定められている競走を忍耐強く走り抜こうではありませんか(へブル12:1)」と記されています。多くの証人、すなわち、誠実に務めを果たされた諸先輩方に囲まれて私たちの今があります。それを受け継ぎ、与えられた場所で誠実に働くことで柳城の未来が切り開かれます。「愛をもって仕えよ」という建学の精神を大切にしながら、これからも忍耐強く歩むことを決意しつつ、120周年をお祝いしましょう。
●式辞 学長 長縄 年延
1898年に、たった一人の生徒が在籍する保母養成所からスタートした柳城学院が、今年で120年目を迎えました。男尊女卑の習慣が残り、子どもなどに手などかけておれない時代でした。創設者のヤング先生は相当に苦労されたと思います。戦時中は空襲で焼け出されもしました。そういう苦難の歴史が創立百周年記念文集「思い出」で知ることができますが、今回は120周年記念として「思い出2」を発行しました。学生の皆さんには、ぜひ読んで、柳城の伝統を学んでいただきたい。
柳城の多くの卒業生たちが、愛をもって仕える心で日本の幼児教育界に大きく貢献してきました。それが柳城の歴史を作ってきました。しかし、少子高齢化の時代を迎え、18歳人口がピーク時の半分以下にまで減るという事態です。その影響が本学にも押し寄せ、定員を充足することがたいへん困難になってきました。4年制大学の併設等の策を講じて、これからの保育に要求される国際化とか発達障がい対応といった専門的で質の高い教育を目指していかなければなりません。
「子どもに学ぶ」気持ちを忘れずに、初心に帰りつつ、これからも励んでまいります。今後ともご協力をよろしくお願いいたします。
●聖歌 第417番「あなたの平和の」
●永年勤続者表彰
●感謝の祈り
●祝福
●校歌
●後奏と司式者団退場
●来賓紹介
■第2部 創立120周年記念 特別講演
「人生の海に錨をおろして ~神の呼びかけが聴こえますか~」
日本聖公会首座主教(兼 北海道教区主教) ナタナエル 植松 誠 師父
「120周年を迎えられたこと、柳城学院の宗教母体である日本聖公会を代表してお祝い申し上げます。私の父が本学院8代目の理事長であったことに不思議な導きと畏れを感じています。」という言葉で始まった一時間余りの本講演。その膨大な情報量のゆえに、講演テーマに沿った一貫性を見いだせない自分の無能さが悲しくなりますが、以下、頑張って要点だけをかいつまんでお知らせします。
①柳城学院創設者のマーガレット・ヤング先生がカナダ聖公会の宣教師として、自分の生涯をかけるという決断をしたことに、私はある種の羨望を感じる。それは驚きと羨ましさと言ってもいい。これと同じ感情を、私は12年前にタンザニアのザンジバル島にあるイギリス宣教師らの墓の前で感じた。この地上の楽園は、かつては悪名高い奴隷交易の拠点であったが、宣教師らの死をも恐れない努力によって奴隷解放が果たされたのだ。奴隷の地下牢跡の上には、現在、英国国教会の教会が建っている。
また、ロンドンでの会議に出席した際、私は、主教の出で立ちで十字架を首から下げていたにもかかわれず、「あんた、クリスチャンかね?」と、ある男に尋ねられたことがある。「もちろん! クリスチャンだ。主教だぞ。教会にも通っているし、聖書を読んで祈りもささげている!」と答えることもできたかもしれない。でも、振り返ると、あの質問の意味は「あんたは、キリスト教の福音を伝えるために命を懸けているか?」ということであったのだろう。あの男は天使だったかもしれない。
②大阪釜ヶ崎にある労働者支援施設「ふるさとの家」に物資を届けに訪れた時のこと。食事の支度で忙しい中、奥から出てきた方は、あの有名な旧約聖書学者、本田哲郎神父だった。彼自身も日雇い労働に携わり、労働者からキリストの福音を学んでいるという。同じカトリックの森一弘神父は、「本当の権威とは、真実/誠実な人生の歩みからもたらされた知恵」だと語る。イエスが五千人に食べ物を与えた奇跡において、全員が草の上に座ったのは、群衆がイエスに権威を感じたからであろう。小さき者の側にいつも立つ、そのような権威が柳城の保育には備わっているに違いない。
③家の引っ越し直前になって、うちの子どもがチューリップを庭に植えたいと言って聞かなかった。植えたところで無駄になることは目に見えているので、止めるよう説得したのだが、よくよく理由を聞いてみると「次に住む人がびっくりして喜ぶから!」というものだった。
また、妻が子どもの頃の話だが、幼稚園の月謝袋を親に渡さずに道路の植え込みに隠したことがあったという。子ども心に家が貧しいことを察して、その月謝袋を母親に見せると悲しむに違いないと思ったそうだ。当然、母親には怒られたが、訳を話さず無言を通した。そのうちに園の先生から「何か考えることがあって、したのね?」と言われて、やっと口を開いたという。
さらに、これもうちの娘の話だが、小さい頃から物事がスローな性格で、それが元でいじめに遭い、人間関係のもつれもあって、そのうちに物を食べなくなってしまった。ストーブの前でただ座る娘に私たちは絶望した。しかし、そのうちに妻が開き直った。「ハチミツだけをなめる娘だが、それでも神に生かされている。それを喜ぼう!」と。妻は、娘と一緒にいることが嬉しいというメッセージを送り続けた。そして娘は徐々に回復し、6年前に嫁いでいった。
私たちは子どもの心を理解し受け入れることを通して、神が背後で私たちの全てを理解し無条件に愛してくださる存在であることを子どもに知らしめる必要がある。それがキリスト教保育の本質であり、柳城学院創設者ヤング先生の願いであったであろう。
■学校法人 柳城学院 創立者記念墓地礼拝
(午後1時~ 日本聖公会中部教区 共同墓地【八事霊園内】)
●送迎バスを使って目的地へ向かいました。
●礼拝
お話しでは、マーガレット・ヤング先生のご生涯が詳しく語られました。
●献花
(加藤)