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イエス・キリストのお人柄に触れてみませんか?

福音書に記されたイエス・キリストの言動を分かりやすく丁寧に解説します。その中で感じたこと気付いたことを気軽に語り合いましょう。自分自身を見つめる良いチャンスになりますよ

学生の皆さんのご参加、お待ちしています。(加藤)

柳城の朝はお祈りでスタート!
この10分があなたをもっとイキイキさせるかも。
学生さん、教職員の皆さんのご参加、お待ちしています(加藤)

【2021年度現在、新型コロナウイルス感染防止など、諸事情により休止中です。】

【お祈り集はこちら

毎朝、8:40~8:50、次の順序で心を整えています。
ご参加、お待ちしています。(加藤)

①【8:40】「朝のお祈りを始めましょう。」

②【8:40】賛美(2分)
「聖歌○番」
→伴奏はギター、ヒムプレーヤー等を利用
→聖歌は20曲程度を印刷物で用意。または既存の聖歌集を利用

③【8:42】主の祈り(30秒)
「イエス・キリストが教えてくださった主の祈りをともに唱えましょう」

④【8:43】イエス・キリストのみ言葉と短い解説(1分30秒)
「今朝のイエス・キリストのみ言葉は…」
→次の⑤で使う「祈り」に登場する言葉を使う

⑤【8:44】祈り(2分)→お祈り集はこちら
「お祈りをします。一緒に唱えましょう。」
→祈りのパターンを12作っておいて、日替わりで利用する。

⑥【8:46】黙想(2分)
「自分のため、人のため、柳城のため、あるいは地域社会のために、今日一日精一杯やりたいことを主にお願いしながら、しばらく黙想します。」「また、特別なお祈りがあれば自由に唱えてください。」
・・・
「この一人ひとりの願いと祈り、お望みならば、どうか、主よ、かなえてください。」

⑦【8:48】賛美(2分)
「聖歌○番」

⑧【8:50】「これで朝のお祈りを終わります。主に感謝します。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

かつて名古屋柳城短期大学に存在していた朝のお祈りの時間が復活しました!

試行的に行っていたものが、2017/10/24にキリスト教センターの承認を経て、正式に本ブログでもご紹介できるようになりました。主に栄光、主に感謝です。

小さな集まりが大きく成長する。これがキリスト教の世界です。
「それは、からし種に似ている。人がこれを取って庭に蒔くと、成長して木になり、その枝には空の鳥が巣を作る。」(ルカ13:19)

主よ、お望みならば末永く成長させてください。(加藤)

次回のお話は本学教員の村田康常先生にお願いしています。
扱われる聖書箇所はイエス・キリストが水の上を歩いたという有名な場面ですね。50節の「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」という短い言葉をどのように心に受け入れるかで全体の印象が大きく変わる場面でもあります。
優しいイエス・キリストのお姿が村田先生を通して伝わることでしょう。ご期待ください!

●お話のテーマ:「安心しなさい」
●お話:村田康常先生
●聖書箇所:マルコによる福音書6.45-51
6:45 それからすぐ、イエスは弟子たちを強いて舟に乗せ、向こう岸のベトサイダへ先に行かせ、その間に御自分は群衆を解散させられた。
6:46 群衆と別れてから、祈るために山へ行かれた。
6:47 夕方になると、舟は湖の真ん中に出ていたが、イエスだけは陸地におられた。
6:48 ところが、逆風のために弟子たちが漕ぎ悩んでいるのを見て、夜が明けるころ、湖の上を歩いて弟子たちのところに行き、そばを通り過ぎようとされた。
6:49 弟子たちは、イエスが湖上を歩いておられるのを見て、幽霊だと思い、大声で叫んだ。
6:50 皆はイエスを見ておびえたのである。しかし、イエスはすぐ彼らと話し始めて、「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」と言われた。
6:51 イエスが舟に乗り込まれると、風は静まり、弟子たちは心の中で非常に驚いた。

●日付:10月25日(水) 13:10~ 対象:保育科1年生・保育科2年生・専攻科学生・教職員
●礼拝形態:合同礼拝
●場所:チャペル

○次回以降の予定
・11/1(水) 柳城学院  創立119周年 記念礼拝
・11/8(水) 合同礼拝(チャペル) 13:10~ お話:大和孝明さん(日本聖公会中部教区センター)
・11/15(水) 合同礼拝(チャペル) 13:10~ 説教:大西 修 チャプレン

【ヨハネによる福音書3:1-6】
3:1 さて、ファリサイ派に属する、ニコデモという人がいた。ユダヤ人たちの議員であった。
3:2 ある夜、イエスのもとに来て言った。「ラビ、わたしどもは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神が共におられるのでなければ、あなたのなさるようなしるしを、だれも行うことはできないからです。」
3:3 イエスは答えて言われた。「はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」
3:4 ニコデモは言った。「年をとった者が、どうして生まれることができましょう。もう一度母親の胎内に入って生まれることができるでしょうか。」
3:5 イエスはお答えになった。「はっきり言っておく。だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない。
3:6 肉から生まれたものは肉である。霊から生まれたものは霊である。

本日の礼拝の中で、一人の姉妹の洗礼堅信式が行われます。この式が柳城の礼拝の中で行われることは多分初めてのことと思います。これはとても素晴らしい出来事です。

ほとんどの皆さんは洗礼堅信式という言葉を初めて聞くし、勿論見たこともないでしょう。

ですから今日はしっかり見て、なるほどこういうことなのかという体験をしてください。

洗礼」とは神様の子どもとして新しく生まれるために行われるキリスト教の一番大切な式です。今までの自分本位な古い生き方に死んで、わたしは神様に生かされているのだという自覚のもとに、新しく生まれ変わらせていただくため、イエス様がお残してくださったものが洗礼です。洗礼には目に見える外のしるしとして「水」を使います。

「水」はものを洗い流します。汚れを落としてきれいにします。洗礼で頭から水を注がれることが、見えない心の中の醜いものを洗い流していただく神様の恵みのしるしとなります。そこに神様の見えない力(聖霊)が働き、罪が洗い清められ、古い自分は死に、新たに生まれ変わるのです。洗礼をバプテスマと言いますが、バプテスマとは水の中に浸して一度死ぬことを意味しています。ですからバプテスト教会ではその名の通り、全身水に浸かる形の洗礼が行われています。

洗礼は「入信の式」と言われ、イエス様を信ずる教会(共同体)のメンバー、神の家族になる式です。私たちは家に入る時、土足では入りません。教会に入る時、入口で心をきれいにしてから入るために、洗礼盤は一番後ろに置かれており、そこで洗礼を受けます。

洗礼を受けるとき先ず「教名」(洗礼名、クリスチャンネーム)を付けていただきます。この名前は、この世でも、死んだのちにも神の国(天国)で通用する名前です。今、私たちが持っている名前はこの世での名前(俗名)で、死ねばなくなる名前です。

そして「教父母」(ゴッドファーザー、ゴッドマザー)が与えられます。成人の場合、男女一人ずつの教父母です。教父母は洗礼を受けた人の信仰上の両親となり、その人の相談役になったり、良きアドバイザーにもなります。

洗礼を受ける人は「捨てること」「信じること」「守ること」を、日々の生活の目標にします。「捨てること」とは、罪の虜であった自分を捨てること、新しい自分になることです。「信じること」とは、イエス・キリストを信じることです。イエス・キリストの父なる神様、そして今も歴史を通して働いておられる聖霊なる神様を信じることです。さらにすべての人々を信じることです。

「守ること」とは、モーセの十戒、イエス・キリストの愛のおきて、神を愛すること、自分を愛するように、隣人を愛することです。これらを自力でクリアーすることはできません。ですから、この微力な私を支え、励まして下さる神様の力に信頼していくとき、これを達成できるのです。

堅信式」は洗礼を受けた人が、主教様に頭に手を置いていただき、聖霊なる神様の力をいただき、それぞれ与えられた場所へと進んでいけるよう、励まし祈っていただく式です。

これらのことを思い浮かべながら、今日の礼拝に出席してくださるようお願いいたします。(チャプレン大西 修 主教)

【イザヤ書42:9-10】
42:9  見よ、初めのことは成就した。新しいことをわたしは告げよう。それが芽生えてくる前に/わたしはあなたたちにそれを聞かせよう。
42:10 新しい歌を主に向かって歌え。地の果てから主の栄誉を歌え。海に漕ぎ出す者、海に満ちるもの/島々とそこに住む者よ。

今日のお話は「ミャンマーの女性と子ども」というテーマで、AHI(アジア保健研修所)2017年度研修生ナウ・イヴ・ナン(Naw Eve Nan)さんにお願いをしました。通訳はAHIスタッフの中島隆宏さんです。今年で3年目になったこの企画。今回は通常の巡回報告会と日程が合わず、特別に柳城短大他のためにご用意していただいたものです。AHIの皆さんの温かい心配りに、あらためて感謝いたします。

ミャンマー出身のイヴナンさんは、現在、ミャンマーYMCA同盟の人財開発部長をしておられます。少数民族に生まれたことで、幼い頃より様々な差別やいじめを受けて来たそうですが、学校の勉強を頑張ることで友人から一目置かれるようになってからは、それらがなくなったということです。大学では少数民族の文化を周囲に語り続けました。卒業後、苦労した末に今のYMCAに就職できたのですが、キリスト教関係の団体を望んでいたわけではなく、本当は精神科の医師になりたかったそうです。でも、YMCAへの道は神のご計画だったことを、彼女はのちに気づくのでした。今日の聖書の箇所は自分への約束だったと・・・。「少数民族として生まれた自分を見捨てることなく、神は私を強め助けて正義の手で守り、そして、自分に相応しい仕事を用意してくれた」とイヴナンさんは熱く語ります。

自己紹介の後は、ミャンマーのお国柄やイヴナンさんの現在の働きなどが紹介されました。いただいた多くの情報から、いつくかを以下にピックアップします。

●「Min Ga Lar Bar」(ミンガラーバー)、ミャンマー語の「こんにちは」には「私はあなたに一番良い物をプレゼントする」という意味があるとのことです。

●「ミャンマーの国家顧問兼外相であるアウンサンスーチーを私は尊敬しています。」(世界的に名の通った尊敬できる政治家がいるなんて、羨ましいですね。)

●ミャンマーには今でも人身売買が行なわれていて、その背景には貧困と法整備の遅れがあるとのこと。YMCAは人身売買撲滅に向けて草の根運動を続けているそうです。

●貧困層の子ども達のために、YMCAは休日に様々な子どもプログラムを実施しているようです。その活動は「神が作ったものは美しい」との信仰に基づいた、笑顔を作る環境作りだともイヴナンさんは語ります。

●「他人を変えるには、その前に自分自身を変える必要があることをAHIの研修を通して学んだ。私は人事の担当として、今まで、どうしたら他人を変えられるのかだけを考えてきた。」

「人生をエンジョイ、家族をエンジョイ、社会をエンジョイ、国をエンジョイ、平和と健康がすべての人々にありますように」と、話を笑顔で締めくくられたイヴナンさんがたいへん印象的でした。謙虚で明るく、信仰的で前向きな指導者の存在が、私にはまぶしかったです。通訳の中島さんも、いつも一生懸命にありがとうございました。(加藤)

★AHIのFacebookもご覧ください。

次回の礼拝では、本学保育科2年の学生さんが洗礼堅信のお恵みにあずかります。主に栄光!
名古屋柳城短期大学への入学を決める際には、このブログが参考になったと振り返る彼女。皆で心を一つにしてお祝いをしたいと思います。どうぞチャペルへお越しください。説教のテーマもこの良き日に合わせられていますので、こちらもご期待ください。

●説教のテーマ:洗礼って何?
●説教者:大西 修 チャプレン
●聖書箇所:ヨハネによる福音書3:1-6
3:1 さて、ファリサイ派に属する、ニコデモという人がいた。ユダヤ人たちの議員であった。
3:2 ある夜、イエスのもとに来て言った。「ラビ、わたしどもは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神が共におられるのでなければ、あなたのなさるようなしるしを、だれも行うことはできないからです。」
3:3 イエスは答えて言われた。「はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」
3:4 ニコデモは言った。「年をとった者が、どうして生まれることができましょう。もう一度母親の胎内に入って生まれることができるでしょうか。」
3:5 イエスはお答えになった。「はっきり言っておく。だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない。
3:6 肉から生まれたものは肉である。霊から生まれたものは霊である。

●日付:10月18日(水) 13:10~ 対象:保育科1年生・保育科2年生・専攻科学生・教職員
●礼拝形態:合同礼拝 ★礼拝の中で洗礼堅信式が執り行われます。
●場所:チャペル

○次回以降の予定
・10/25(水) 合同礼拝(チャペル) 13:10~ お話:村田先生
・11/1(水) 柳城学院  創立119周年 記念礼拝
・11/8(水) 合同礼拝(チャペル) 13:10~ お話:大和孝明さん(日本聖公会中部教区センター)

ビッグスマイルの栽培記録をコラージュ風にまとめてみました。

種蒔きから始まり種の収穫で終わるという一連のサイクルを経験した園芸サークル・マーガレットの私たちは、これまでにブログでご報告したように様々な体験をすることができました。その感謝の気持ちを込めて上のコラージュをふじ幼稚園さんにお届けしました。

震災で犠牲なられた方々のご冥福を祈るとともに、子ども達の笑顔が震災で二度と奪われることのないよう、これからも気持ちを引き締めていきたいです。

最後に「笑顔広がれプロジェクト」のページからの引用をもって、この報告を終りたいと思います。主に感謝。

『小さな子どもの命を預かる幼稚園や保育所では、先生任せでも無く、保護者任せでも無く、お役所任せでも無く、みんなで場所場所の危険性を考え、それに応じた防災計画・避難計画を立てましょう。そして、まわりのコミュニティーと常日頃から仲良くつきあい、情報交換をしてみんなで情報を共有しましょう。大きな災害があっても、子供達はもちろん、みんなの笑顔を守れるように』これが、笑顔広がれプロジェクトの思いです。どうぞ二度と悲劇が繰り返されませんように。

【ルカによる福音書19:1-10】
19:1 イエスはエリコに入り、町を通っておられた。
19:2 そこにザアカイという人がいた。この人は徴税人の頭で、金持ちであった。
19:3 イエスがどんな人か見ようとしたが、背が低かったので、群衆に遮られて見ることができなかった。
19:4 それで、イエスを見るために、走って先回りし、いちじく桑の木に登った。そこを通り過ぎようとしておられたからである。
19:5 イエスはその場所に来ると、上を見上げて言われた。「ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。」
19:6 ザアカイは急いで降りて来て、喜んでイエスを迎えた。
19:7 これを見た人たちは皆つぶやいた。「あの人は罪深い男のところに行って宿をとった。」
19:8 しかし、ザアカイは立ち上がって、主に言った。「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。また、だれかから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します。」
19:9 イエスは言われた。「今日、救いがこの家を訪れた。この人もアブラハムの子なのだから。
19:10 人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである。」

今日の福音書に出てくるザアカイの物語は、絵本や紙芝居にもなっている易しい話ですが、これには深い意味があります。

ザアカイという名前には純潔/純粋という意味があります。日本式の名前でいうと清とか純子という感じになりますか。ザアカイの親はこのような名をつけて自分の子どもに期待をかけたはずです。でも、彼は徴税人の頭になりました。当時、支配者だったローマにユダヤは税金を払っていたのですが、それを集めていたのはユダヤ人でした。それを徴税人といいます。金の取り立て役ですから好かれてはいなかったでしょう。ザアカイはその中の「頭」ですので相当の嫌われ者だったはずです。本人も不正を働いて稼いでいたでしょうから当然かもしれません。

そんな金持ちのザアカイですが、自分自身に満足してなかった。背が低かったこともあるでしょう。だからエリコの町に来たイエスに興味が出てイチジク桑の木に登ったのです。葉が大きいので、隠れてこっそり眺めようという気持ちもあったはずです。

ところが、イエスから「ザアカイ」と突然呼びかけられた。これにはザアカイも驚いたことでしょう。「何で私の名前を知っているのか」と。さらにイエスから「ぜひあなたの家に泊まりたい」と言われる。「あくどいことをするな」と叱られても当然なのにイエスから優しく声をかけられたのです。周囲の人も「何であんな奴の家に泊まるのか」と驚いたことでしょう。

イエスの声掛けによって、ザアカイは自然に反省する気になりました。「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。また、だれかから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します」と。

イエスは上を見上げてザアカイに声をかけられました。英語で「理解する」はunderstandですが、文字通りunder(下に)stand(立つ)ことでイエスはザアカイを理解し、この嫌われ者に寄り添ったのです。イエスは、私たちの下に立って私たちを理解し寄り添ってくださる方です。

「嫌われ者に寄り添えられるか」。ザアカイの物語は私たちにそう問いかけています。(チャプレン大西 修 主教)

マリーゴールド

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