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【コロサイの信徒への手紙3:12-17】
3:12 あなたがたは神に選ばれ、聖なる者とされ、愛されているのですから、憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。
3:13 互いに忍び合い、責めるべきことがあっても、赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたも同じようにしなさい。
3:14 これらすべてに加えて、愛を身に着けなさい。愛は、すべてを完成させるきずなです。
3:15 また、キリストの平和があなたがたの心を支配するようにしなさい。この平和にあずからせるために、あなたがたは招かれて一つの体とされたのです。いつも感謝していなさい。
3:16 キリストの言葉があなたがたの内に豊かに宿るようにしなさい。知恵を尽くして互いに教え、諭し合い、詩編と賛歌と霊的な歌により、感謝して心から神をほめたたえなさい。
3:17 そして、何を話すにせよ、行うにせよ、すべてを主イエスの名によって行い、イエスによって、父である神に感謝しなさい。

今年も8月を迎えました。8月は平和を願う熱い祈りと思いと行動の月として過ごしていきたいものです。

第2次世界大戦後72年が経過しました。1945(昭和20)年8月6日には広島、9日には長崎に原爆が投下され、そして8月15日には敗戦の日を迎えました。今ではこの戦争を知らない人々が大半を占めるようになりました。このような現実の中で、戦争は世界をどのように変えてしまうものか、戦跡を訪ね、戦争がもたらす悲惨な現実の一端を見、数少ない体験者の方からお話をお聞きし、戦争を追体験することは大変意義あることだと思います。そして、平和がいかに大切であるか、真の平和とは何かを考える時が持てたらいいなと思います。

機会があれば、沖縄、広島、長崎などを是非訪ねて行ってほしいと思います。

長野市の松代というところを知っていますか。真田幸村の兄信之が最初藩主となった松代藩の城下町です。有名な佐久間象山、松井須磨子(新劇女優、カチューシャの唄 1919没38歳)、草川 信(ゆりかごの歌、夕焼け小焼け、緑のそよ風、どこかで春が、などの作曲者)の出身地でもあります。

この松代の町にワゴン車が楽に通れるような地下壕が三ケ所、硬い岩盤を縫って碁盤の目状に総延長13キロにわたって掘られています。1944(昭和19)年11月11日、午前11時に開始されたこの工事は9ケ月間、延べ300万人とも言われる人々(その中には朝鮮半島から強制連行されてきた約7,000人の人々も含まれます)によって進められ、たくさんの犠牲者を出しました。 敗色の濃くなった日本軍はこの地下壕に、大本営と天皇の御座所を東京の皇居から移す計画を立てていましたが、8月15日の敗戦を迎え、工事は計画半ばで終結し、皇居を移すことはありませんでした。松代の地下壕は「松代大本営の保存をすすめる会」によって保存運動が推進され、現在、見学することもできます。長野へ行った折には是非立ち寄って見学してきてください。戦争がもたらす過酷な状況を垣間見ることができます。戦争は戦地で戦う人たちだけではなく、一般の人々にも銃後の戦いと言われる厳しい深刻な状況をもたらすことが手に取るようにわかります。

今日でもなお続いている中東の戦争などは、平和からはほど遠いものがあります。現実に戦争によって心身に被害を受け、苦しんでいる人々、弱い立場にいる老人、子ども、障害を持っている人々、婦人たちの窮状は大変深刻です。

パウロはローマの獄中から書いたコロサイの教会の信徒への手紙の中で、「キリストの平和があなたがたの心を支配するようにしなさい。」と言っています。また主イエスは「平和を実現する人々は、幸いである」(マタイ5:9)と言っておられます。

主イエスやパウロが語る「平和」とは一体どのようなものなのでしょうか。

聖書では「平和」を静かで、平穏で、落ち着いた変わらない状態、あるいは、じっと待っていればやがてやって来るものとしてとらえてはいません。「平和」は既に出来上がっているものではなく、実現するもの、作り出すもの、動的なものとしてとらえられています。

ギリシャ語で「平和」を「エイレイネー」と言います。神学校の時に勉強したギリシャ語は大半忘れてしまいましたが、不思議に今も覚えている単語の一つが「エイレイネー」(平和)です。なーんでか?と言いますと、「エイレイネー」を「えーれーねー」、(豪いねー、大変だねー)とこじつけて覚えていたからです。平和を実現することは、エイレイネー、大変だねー、しんどいことだねーと覚えたわけです。

パウロはキリストの平和を実現するために、ローマで獄中生活を送りました。獄中の日々は本当に大変だったと想像しますが、彼は喜びをもって獄中から教会へ手紙を書いています。それは彼の心をキリストの平和が支配していたからに他なりません。キリストの平和はわたしたちを新しい第一歩へと導いてくれます。

復活された主イエスは、弟子たちのいる家の中にその姿を現され、「あなたがたに平和があるように!」と言われました(ヨハネ20:19)。この平和は「キリストの平和」です。家の戸に鍵をかけ、中にいた弟子たちを外へ連れ出し、勇気をもって新たな行動へと導いていく力が「キリストの平和」です。

カトリックの塩田 泉神父が作詞作曲された聖歌、「キリストの平和がわたしたちの心の、すみずみにまで行き渡りますように」を後で歌います。この聖歌を歌うたびに、アッシジの聖フランシスの祈りの一節「主よ、あなたの平和を人々にもたらす器として、わたしをお使いください。」を思い出します。キリストの平和を人々にもたらす器として、働いてきた多くの人々(シュヴァイツアー博士、マルチン・ルーサー・キング牧師、シスター・マザーテレサなど)は、苦難や困難の多い、厳しく険しい道(人生)を、喜びのうちに選び取っていきました。キリストの平和は忍耐をもって勝ち取るもの、臆病で自信のないわたしに勇気を与え、困難だと思われる道へとわたしを押し出して行きます。神によって与えられている尊い人々の命を奪おうとする悪の力に対して、勝利を信じ、勇気をもって立ち向かっていくことこそ、平和を実現する初めの一歩です。

この夏休み、どんな小さなことでもいいです、平和を実現するための働きを考え、実行してみましょう。(チャプレン大西 修 主教)

★本日は聖歌伴奏に管楽器が初参加です!
フルート(2)・クラリネット(1)(以上、保育科1年生の皆さん)・ホルン(1)(奏楽担当の柴田先生)の四重奏。やんわりとした雰囲気がチャペルいっぱいに漂いました。礼拝参加者も新鮮な気分でお祈りできたことでしょう。このチャレンジ、大切に大切にしていきたいです(^o^)/

 

2017年度前期、最後の礼拝となります。
キリストの平和を思う時、イエスの十字架がいつも頭をよぎります。平和って何だ…。平和は微笑みから始まるとマザー・テレサは言いました。しかめ面で平和について考えることのないように、楽しい礼拝で前期を締めくくりたいですね。ご期待ください!

●説教のテーマ:キリストの平和
●説教者:大西チャプレン
●聖書箇所:コロサイの信徒への手紙3:12-15
3:12 あなたがたは神に選ばれ、聖なる者とされ、愛されているのですから、憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。
3:13 互いに忍び合い、責めるべきことがあっても、赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたも同じようにしなさい。
3:14 これらすべてに加えて、愛を身に着けなさい。愛は、すべてを完成させるきずなです。
3:15 また、キリストの平和があなたがたの心を支配するようにしなさい。この平和にあずからせるために、あなたがたは招かれて一つの体とされたのです。いつも感謝していなさい。

●日付:8月2日(水) 13:10~ 対象:保育科1年生・保育科2年生・専攻科学生・教職員
●礼拝形態:合同礼拝
●場所:チャペル

○次回予告
9/6(水) 合同礼拝(チャペル) 13:10~対象:保育科1年生・保育科2年生・専攻科学生・教職員

ビッグスマイルの花も終わり、種を実らせる段階へと入りました。周囲の夏の花々にバトンタッチです。

ビッグスマイルの販売元に種について問い合わせたところ「ヒマワリのビッグスマイルは普通に花粉がでますので採種が可能です。採種される場合は、他の品種の花粉が混じらないよう注意してください。」との丁重な回答でした。

最後まで大切に育ててみたいと思います(^^♪

To be continued.(加藤)

【ローマの信徒への手紙12:9-15】

12:9 愛には偽りがあってはなりません。悪を憎み、善から離れず、
12:10 兄弟愛をもって互いに愛し、尊敬をもって互いに相手を優れた者と思いなさい。
12:11 怠らず励み、霊に燃えて、主に仕えなさい。
12:12 希望をもって喜び、苦難を耐え忍び、たゆまず祈りなさい。
12:13 聖なる者たちの貧しさを自分のものとして彼らを助け、旅人をもてなすよう努めなさい。
12:14 あなたがたを迫害する者のために祝福を祈りなさい。祝福を祈るのであって、呪ってはなりません。
12:15 喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。

「平和を守る」というテーマでお話をします。

今日のテーマを選んだわけは、元沖縄県知事の大田昌秀(おおたまさひで)さんがこの6月に、そして、中国の民主活動家の劉暁波(りゅうぎょうは)さんが7月にそれぞれ亡くなられたからです。どちらも非暴力運動を通して自由とか人権を守るために身をささげた方です。劉さんは服役中の刑務所の病院で亡くなっています。

人が愛をもって上下関係に関わりなく平等に付き合えば、世の中は平和になります。大切なことは、「私たちは誰でも平等であるべきだ」という気持ちを持ち続けることです。その例がアメリカにあります。

50年前にマーティン・ルーサー・キング牧師がアメリカの黒人差別に反対して公民権運動を起こしました。彼は途中で暗殺されてしまいましたが、彼の非暴力運動はその後も長く受け継がれ、ついには、黒人系のオバマ前大統領が誕生するに至ったのです。「人は誰でも平等だ、正しいことは正しい」と多くの国民が言い続けたからこそ、アメリカの社会は変わったのです。

自由にものが言える社会は日本では当たり前かもしれませんが、世界には、そういうことができない国もまだあります。でも、そんな国にも周囲の国々からの影響を受けて、いつかは平等な社会が実現するかもしれません。

こういった意識を持って本日の聖書箇所を読んでみるといいでしょう。皆さんが平等への強い関心を持ち続けてくれることに期待したいです。(田中 誠 司祭:名古屋聖マタイ教会)

【ガラテヤの信徒への手紙 6:1-4】

6:1 兄弟たち、万一だれかが不注意にも何かの罪に陥ったなら、“霊”に導かれて生きているあなたがたは、そういう人を柔和な心で正しい道に立ち帰らせなさい。あなた自身も誘惑されないように、自分に気をつけなさい。
6:2 互いに重荷を担いなさい。そのようにしてこそ、キリストの律法を全うすることになるのです。
6:3 実際には何者でもないのに、自分をひとかどの者だと思う人がいるなら、その人は自分自身を欺いています。
6:4 各自で、自分の行いを吟味してみなさい。そうすれば、自分に対してだけは誇れるとしても、他人に対しては誇ることができないでしょう。

みなさん、こんにちは

今日は「人の心と心理学」というテーマでお話をさせていただきます。

人の心は移り変わるものですが、その時々の心の状態がその人の言動から分かる場合があります。それをいくつかご紹介しましょう。

①癖で髪とか指をいじる人を見かけますが、これは自分の不安を解消したいために、自分自身の体に触れて緊張感を和らげたいという行為です。こういった癖を代償行為と言います。体に触れることで子どもを落ち着かせるのも、こういった心理を使う点では同じです。

②「楽しい」と口では言いながら貧乏ゆすりをしている人がいますが、本当は、関心がないというサインなのです。他にも、ボールペンをカチカチさせる、腕を組む、頬杖をつく、居眠りするなども同じです。

③自慢話が好きな人がいます。度々だと避けたくなりますね。こういう人には切れ易いタイプが多いです。他には、立場の弱い人には威圧的だが目上には低姿勢、人前でクレームを言う、好印象を与える行動を取るなんていうもの自慢話が好きな人に多いです。元々、強い劣等感があるために自分を誇示するわけです。それを知ると、自慢する相手を許す気にもなりませんか?

④私たちの好きな噂話。「誰にも言わないでね」とささやかれると余計に言いたくなりますよね。でも結果は悲惨で、どんどん尾ひれが付いて周囲に伝わっていきます。その点では伝言遊びと全く同じです。ちなみに、噂話で人を褒めることは稀ですね。

人間は不思議です。人のある特定の評価を何度も繰り返し聞いていると、そのうちに、それが正しいと思えてきます。でも、それが本当どうかは、自分自身の目と耳で正確な情報を得て判断するまでは分かりません。

今日、こういった話を皆さんと共有できたことを神様に感謝します。(本学教員 山脇眞弓)

●説教者:田中 誠 司祭(名古屋聖マタイ教会 元本学チャプレン)
●日付:7月26日(水) 13:10~13:50 対象:保育科1年生・保育科2年生・専攻科学生・教職員
●礼拝形態:合同礼拝
●場所:体育館
●その他:
13:55~14:05 学食アンケート結果報告(キャンパス整備委員会主催)
14:10~14:40 奉仕活動(学生生活委員会主催)
※ 礼拝が延長した場合、結果報告を割愛する場合があります。

〇予告
8/2(水) 合同礼拝(チャペル) 13:10~対象:保育科1年生・保育科2年生・専攻科学生・教職員

今日のお昼の賛美歌タイムは、保育科1年生のYさんが一人で守ってくれました (^_^)/

2年生のほとんどは施設実習中。職員担当の私も今日はお休みをとる日だったのです。

以前にも2年生のYさんが一人で守ってくれたことがありました (^J^)

最初から「毎日守るべきもの」とルール化してしまうと、途端にイエス・キリストの「安息日は、人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない。(マルコ2:27)」という言葉が襲いかかります。

「賛美を楽しく♥」をモットーに続けてきた賛美歌タイムです。

楽しいから毎日でも手分けして守れる…

こんな15分間が柳城のあちこちに広がることを、主に、おねだりしたいです (^^♪ (加藤)

 

【ルカによる福音書 23:32-35、43-46】
23:32 ほかにも、二人の犯罪人が、イエスと一緒に死刑にされるために、引かれて行った。
23:33 「されこうべ」と呼ばれている所に来ると、そこで人々はイエスを十字架につけた。犯罪人も、一人は右に一人は左に、十字架につけた。
23:34 〔そのとき、イエスは言われた。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」〕人々はくじを引いて、イエスの服を分け合った。
23:35 民衆は立って見つめていた。議員たちも、あざ笑って言った。「他人を救ったのだ。もし神からのメシアで、選ばれた者なら、自分を救うがよい。」

23:43 するとイエスは、「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われた。
23:44 既に昼の十二時ごろであった。全地は暗くなり、それが三時まで続いた。
23:45 太陽は光を失っていた。神殿の垂れ幕が真ん中から裂けた。
23:46 イエスは大声で叫ばれた。「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます。」こう言って息を引き取られた。

人が死ぬとき最後にどんな言葉を残していくのでしょうか。6月22日、乳がんのため34歳で亡くなった小林麻央さんは最後に夫の市川海老蔵さんに「愛してる…」と言って、息を引き取ったとのこと、この言葉は多くの人々の心を打ちました。

「苦しい、早く死にたい、殺してくれ!」「お母さん!」「死にたくない!」 意識がはっきりしている人は、このような言葉を残していったかもしれません。声が出ない、出せない人は顔の表情で思いの一部を現わしていったことでしょう。

4年前、わたしが大阪で主教として働いていた時、一人の牧師(わたしの2歳上の司祭)が救急車で病院に搬送されました。数日後、一つの決断を迫られる状況になりました。手術をすれば回復する可能性はあるが、このままにしておけばあと一週間しか生命は持たないと宣告されたのです。彼は病床に付き添うお連れ合い(妻、奥さん)に、手術をする決断を伝え、彼女もそれに同意しました。そして、彼は「この40 年間、本当によく僕を支えてくれたね。ありがとう!。ひょっとしたらもう話せなくなるかもしれないし、これが最後になるかもしれないからね。」と優しい微笑みを浮かべて彼女にそっと手を触れ、感謝と別れを告げ、手術に向かいました。わたしは二人の近くに立っていましたので、胸が締め付けられ、目頭の熱くなるのを覚えました。手術後、昏睡状態のまま意識は戻らず、3ケ月後に召されました。お連れ合いへの言葉が最後の言葉になってしまいました。もし自分だったら、どうしただろうかと改めて考えさせられました。

ではもし、あなたがそのような立場に立ったとしたら、どんな言葉を残していきますか。想像できないかもしれませんね。そんなこと、わたしにあるわけがないと思っていませんか。特別、カッコいい言葉を残せないでしょうし、何を言おうかなんて考える余裕もないかもしれません。その人が常日頃、心のうちに大事にしている思い、本音が、その時、自然に口をついて出てくるのではないかと思います。相手の本心がわかるのがその時なのかもしれません。そうだとすると、ちょっと恐ろしい気もします。

三浦綾子さんは自伝「明日をうたう」(亡くなった1999年[平成11年]、77歳の年・刊行)の中で「遺書は二通書いた。…要約すれば、「ありがとう」と「ごめんなさい」という言葉だった。人間の生活はつきつめれば、誰しも感謝と謝罪の二語に尽きるのではないか。それが人間のあるべき姿と言えるかも知れない。」と言っています。

わたしは朝出かける時やどこかへ主張する時、妻に必ず心を込めて「行ってきます」と挨拶します。その時いつも「これが最後の言葉になるかもしれないな」と思うからです。ですから、時々「これが最後の言葉になるかもしれないね」と言います。そして本当にそうだったとしたら、それはそれでとても素晴らしいのではないかと思っています。

また、わたしは毎晩寝る前にお祈りをします。こう祈ることによって、もし仮に、そのまま目が覚めなかったとしても、何も思い残すことはないからです。「神様、きょうも一日あなたのみ守りのうちに、過ごすことができ感謝いたします。今日もし人々との関わりの中で、気づかずに犯した誤りがありましたら、どうぞお赦しください。わたしの中にいつも人々を思いやる心と、赦すことのできる本当の愛をお与えください。すべての人々に今夜も安らかな眠りをお与えください。主イエス・キリストのみ名によって アーメン。」

さて、聖書にはイエス様が十字架の上で最後に言われた言葉がいくつか記されています。「父よ、彼らをお赦しゆるしください。自分が何をしているか知らないのです。」(ルカ23:34)

無実のイエス様を十字架につけ、殺そうとしている人々に対して、神様にどうか彼らを罪に定めず、罰せず、赦してください。彼らは自分が何をしているかが見えていないのです、気づいていないのです、わかっていないのです。こう言って父なる神に赦しを願っておられます。また、自らの非を認めた死刑囚には「はっきり言っておく。あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる。」(ルカ23:43)神があなたを赦してくださり、わたしと共に天国への道を行けることを約束されました。そして「成し遂げられた」(ヨハネ19:30)、あなたがわたしに託された任務は終わりました。「 父よ、わたしの霊を御手にゆだねます。」(ルカ23:46)安心して私のすべてをあなたにおゆだねいたします。こう言って息を引き取られました。

イエス様は最後の最後まであらゆる人々に心を寄せられ、彼らの幸せを願い、祈り、行動されました。

わたしたち一人一人は、神様からたった一つの掛け替えのない、尊い命を与えられ、多くの人々に愛され、励まされ、支えられ、こうして共に生きてこられたことを感謝する思いを常に持って歩んで行きたいものです。  (チャプレン 主教 大西 修)

ロベリア

今回は、本学教員の山脇眞弓先生にお話ししていただきます。
先生のプロフィールについてはこちらをご覧ください。
イエス・キリストは、律法でがんじがらめに縛られていた当時の民衆を憐れんで、人の心を解放してくださいました。その福音の営みは現在まで続いています。今回のお話が、ひょっとすると、その解放に役立つかもしれません。ご期待ください。

●奨励のテーマ:「人の心と心理学」
●内容:人の心って不思議で面白いですね。心に関係するお話を皆さんと共に考えてみたいと思います。
●奨励者:山脇 眞弓 先生

●日付:7月19日(水) 13:10~ 対象:保育科1年生・保育科2年生・専攻科学生・教職員
●礼拝形態:合同礼拝
●場所:チャペル

○予告
・7/26(水) 合同礼拝(体育館) 13:10~対象:保育科1年生・保育科2年生・専攻科学生・教職員
説教:田中 誠 司祭(名古屋聖マタイ教会) 礼拝後に奉仕活動(学生生活委員会企画)
・8/2(水) 合同礼拝(チャペル) 13:10~対象:保育科1年生・保育科2年生・専攻科学生・教職員

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