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昨年に引き続き、Ontoh(オントー)の皆さんをお招きできました。

チャペルでの出演がたいへん楽しみだったようで、その気持ちが演奏と響き合い、聴衆側へも十分に伝わったような感じがしました。開演時間が5時限後だったため、教員の皆さんが、暗くて寒い中、帰宅しようとする学生さんをチャペルに誘導すべく必死で声かけをして下さいました。結局、大入りとはいきませんでしたが、暖かいチャペルの中で皆の温かい気持ちが一つになったようです。

曲目はクリスマスソングを中心に様々なジャンルの曲が組み合わされ、さらに曲間に入る若々しいウンチクトークが結構為になって、ヤングな演奏家をお招きする狙い通りの展開になったと思います。極めつけはアンコール曲が中島みゆきの『糸』であったこと。「縦の糸はあなた  横の糸は私  逢うべき糸に  出逢えることを  人は仕合わせと呼びます」と結ばれるこの曲に込められたOntohの皆さんの思いはいかばかりか。その気持ちをそっちのけに、「糸」を十字架の「木」に読み替えて、思いつきのクリスマスメッセージをしてしまい、少々反省しています。

神は、その愛を、太陽の光のごとく、すべての人に降り注ぎ、私たちを招いておられます。それに気づくか気づかないかが運命の分かれ道。神の道に入るのに苦行/修行みたいなものは必要ないと思います。今日のコンサートのように、チャペルに集った全員を楽しい気分でさせてくれたのも神のお恵みです。感謝しつつ、このような楽しいミニ企画がたくさん私たちに与えられ、神の愛の光が名古屋柳城短期大学の隅々にまで照らされることを祈りたいと思います。(加藤)

イエスは再び言われた。「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。」
【ヨハネによる福音書8:12】

名古屋柳城短期大学のクリスマスシーズン到来を告げる恒例の行事が行われました。

点灯式は毎年と同じパターンでしたが、忙しいスケジュールの合間を縫って駆けつけてくれる学生さんが本当に素敵でした。今年は、式の後にコーヒータイムが設けられて、ホッと一息。参加者が一つになってクリスマスの温かみを共有できたような気がします。

本学には、大きなツリーやまばゆいばかりのイルミネーションもありません。それに代わる何かが与えられることを祈りつつ、神の御心に適う範囲で名古屋柳城短期大学らしいミッションが展開していけたらと思います。(加藤)

イエスが神殿の境内を出て行かれるとき、弟子の一人が言った。「先生、御覧ください。なんとすばらしい石、なんとすばらしい建物でしょう。」イエスは言われた。「これらの大きな建物を見ているのか。一つの石もここで崩されずに他の石の上に残ることはない。」

【マルコによる福音書13:1-2】

○本日は、通常礼拝の直後に、本学の附属柳城幼稚園の青組さん34名による特別賛美が披露されました。

1年に1回きりの恒例行事ですが、園児さんたちは一生懸命に練習を重ねてきてくれています。そのおかげで、チャペルは実に和やかで爽やかな雰囲気に包まれました。胸に十字架を付けた子どもたちを見るたびに、短大保育科としての社会的使命を感じずにはおられない、と書くと大げさかもしれませんが、イエス・キリストが「天の国はこのような者たちのものである。(マタイ19:14)」と語る通りです。小さくて何の力もない子どもたちですが、その将来は無限に広がっています。神の見守りの中、よい保育者に囲まれて大きく成長していって欲しいですね。(加藤)
【子どもたちの詳しい様子については、名古屋柳城短期大学附属柳城幼稚園のブログページでご覧ください】

○なお、教話の内容は以下の通りです。

【マタイによる福音書3:1-6】

そのころ、洗礼者ヨハネが現れて、ユダヤの荒れ野で宣べ伝え、
「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言った。
これは預言者イザヤによってこう言われている人である。「荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、/その道筋をまっすぐにせよ。』」
ヨハネは、らくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べ物としていた。
そこで、エルサレムとユダヤ全土から、また、ヨルダン川沿いの地方一帯から、人々がヨハネのもとに来て、
罪を告白し、ヨルダン川で彼から洗礼を受けた。

12月最初の礼拝です。キリスト教の暦では降臨節という期間に入っていて、教会はクリスマスの準備の真最中です。世間でもクリスマスに向けてお祭りムードですが、キリスト教の信徒は、イエス・キリストの誕生のお祝いに向けて心の準備をしています。どういった準備かというと、それは、今日の福音書の箇所から読み取れます。

洗礼者ヨハネは、荒れ野でらくだの毛衣を着て、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べ物としていました。つまり、町を離れ、貧しい姿で質素な生活をしていたということです。当時の人々は、このヨハネの姿に魅了されたということでしょうが、今の私たちにはとても真似はできません。それでも、日々の慌ただしい生活や色々な欲望から少し距離を置いて、自分自身を振り返り、何か特別なことに集中することで、心を研ぎ澄ますことはできるでしょう。仏教でいうところの座禅の境地といいましょうか、邪念から離れるといった感じです。

そもそも教会とは神と向き合って自分自身を振り返る場所です。クリスマスに向けて、皆さんが心を研ぎ澄ます、その助けとなるような教会でありたいと願います。(チャプレン)

●次回の大学礼拝 12/14(水)13:10~(体育館)
【学生生活員会による特別企画が礼拝後に用意されています】

【ローマの信徒への手紙5:1-4】
このように、わたしたちは信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストによって神との間に平和を得ており、このキリストのお陰で、今の恵みに信仰によって導き入れられ、神の栄光にあずかる希望を誇りにしています。
そればかりでなく、苦難をも誇りとします。わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。

聖公会の暦では、12月25日のクリスマス直前の4週間、すなわち今年でいうと11月27日から12月24日までを降臨節と呼んでいます。イエス・キリストの誕生を祝う日を迎えるために、この期間、皆で心の準備をしましょうということです。世間ではクリスマスの飾り付けが盛んですが、救い主であるイエス・キリストを迎え入れるに相応しいかどうかを自分自身に問うことが本来の目的で、悪い考えから遠ざかる努力をするとか、信仰を深めたりすることが大切になります。国によっては、この間、断食をしたり、肉だけを絶ったりすることもあるようで、欲望を絶つという点では意味のある行為かもしれませんし、少し断食をしただけでも集中力が増して、心と体のバランスが整うといいます。

さて、皆さんは来週から実習が始まります。期間中、普段の生活のリズムが大きく変わるので、ギリギリまで寝ていて、授業は受身状態、というような日常から離れて、今から早起きをし、朝一番から意欲的に行動できるようにしておくとよいでしょう。

園長をした経験から言うと、実習の成果は現場経験の活かし方、特に、失敗の経験にどう対処したかに左右されます。もちろん、失敗などしたくはないでしょうが、もし失敗したとしても、それは決して悪いことではありません。それを次に活かせればよいのです。指導する側もそう考えています。だから、実習日誌には、失敗したことを正直に書いて、それを自分自身で評価し、次にどう対処するかなどをキチンと記録するとよいでしょう。私も大学時代に教育実習を受けましたが、「話をする際に、語尾が聞き取りにくい」と指導されたことを今でも覚えています。

二週間の実習期間、失敗を恐れずに、普段やりたいと思っていることがあれば積極的にトライしてみてください。頑張ってください。(チャプレン)

●次回の大学礼拝 12/7(水)13:10~
【名古屋柳城短期大学附属 柳城幼稚園の園児さんらによるキャロリングが披露されます】

ランタナ

 

昨年に引き続き、今年も鶴舞公園で行われた昭和区民祭に有志10名が参加しました。今回は聖歌隊と、学内の音楽サークルの2つが一緒になってチームを作り、「By Love Serve」というグループ名での参加です。これは、本学の建学の精神である聖書の言葉に由来しています。

曲目は、「聖歌482番 いつくしみ深き」「糸」「上を向いて歩こう」「ドレミの歌」の4曲です。当日は8:30に集合し、発声練習と打ち合わせ、リハーサルと続き、本番へと進んでいきました。

私たちは、普段は短大で、保育や介護を勉強しているため、子どもさんからご年配の方まで幅広い方々に聴いて頂けたことを大変喜んでいます。そして、お客様はもちろん、このステージのために企画や準備をして下さったスタッフの皆様に心より御礼申し上げます。(柴田)

 

【ヘブライ人への手紙12:11】
およそ鍛錬というものは、当座は喜ばしいものではなく、悲しいものと思われるのですが、後になるとそれで鍛え上げられた人々に、義という平和に満ちた実を結ばせるのです。

柳城祭が終わりました。今日は文化祭について考えてみます。

柳城祭に備えて色々と練習を重ねた人も多いと思いますが、練習中はうまくいかないこともあってつまらないし、飽きてくることもあります。鍛練というのはそういうもので、その分、結果が良いと喜びも大きいと、今日の聖書も語っている通りです。

幼稚園や保育園の文化祭といえば作品展ということになりますが、これは子どもの文化的成長を知る上で大切な行事です。大体は4月から準備に入り、日頃の作品をためておいたりするものです。クレヨンやクレパスから始まり、次第に絵具や鉛筆が使えるようになる。特に版画は幼児にはレベルが高い分野ですが、出来た時の仕上がりには素晴らしいものがあります。

さて、幼児の作品を展示する段になると、どうしても上手/下手が目立ちますが、ここで大切なのは、出来の悪い作品でも、それを子どもの個性として捉えて評価できるかどうかです。展示する工夫も必要です。たとえば、上手/下手が入り混じっても全体が整うよう、背景とかレイアウトを考えたりすることもあります。紅葉は樹木全体としては美しいですが、一枚一枚の葉はそれぞれが個性的で、中には汚いものも混ざっています。これと同じ理屈です。

子どもの個性を幅広く受け入れるためには、大人側の感性を豊かにしておく必要があります。色々なことに関心をもって視野を広げておくのも手です。その際に鍛練が必要となることもありますが、子どもの違いが分かる人になって欲しいと思います。(チャプレン)

●次回の大学礼拝 11/16(水)13:10~ 田中チャプレン(司式・説教)

ペチュニア

今年も無事に創立記念行事を終えることができました。主に感謝です。
●9時30分からは記念礼拝が体育館で行われ、渋澤一郎 理事長からは次のようなメッセージがありました。

 

 

 

 

 

 

創設者であるマーガレット・ヤング先生から今日に至るまで、実に多くの先人達が、この柳城学院のために貢献をされています。本日はキリスト教会の暦で諸聖徒日、つまり、すべての聖人を覚える日でありまして、いうなれば日本のお盆に相当するような日ですが、この創立記念礼拝においても、私たち一堂、柳城の先人たちを思い返すのであります。

「こういうわけで、わたしたちは、このような多くの証人に雲のように囲まれているのであるから、いっさいの重荷と、からみつく罪とをかなぐり捨てて、わたしたちの参加すべき競走を、耐え忍んで走りぬこうではないか。」(ヘブル人への手紙12:1 口語訳聖書)と聖書に記されている通り、私たちは先人たちに雲のように囲まれているのです。そのような状況の中で、私たちは自分の走るべき道を忍耐をもって進もうとしています。

今日の式典の意味を、単なる思い出だけにとどめることなく、愛をもって仕える者として、それぞれの働きを積み重ねていく決意を新たにする機会にしたいものです。」

●続いて、長縄年延 学長からは次のメッセージです。

 

 

 

 

 

 

「1898年(明治31年)は戦争の時代であり男尊女卑の時代でした。創設者マーガレット・ヤング先生は名古屋市白壁の地において、この年に保姆養成所を、翌年には柳城幼稚園を開いたのです。彼女はフレーベルのキンダーガルテンを幼児教育の理想とし、大人が子どもに学びながら共に成長する環境を求めました。「フレーベルにとってキンダーガルテンは、子どもの手に取り戻されたパラダイス(荘司泰弘1999)」であったと、本学院100年史には紹介されています。

この100年史の別冊として出された『思い出』には、戦時中の生々しい記録が記されています。ピアノ試験中に空襲サイレンが鳴ったとか、焼けた校舎の壁に合格者名簿が張り出されたたとか…。名古屋市内はアメリカ軍の爆撃機によって焼野原にされ、附属幼稚園も灰になったのです。それでも、白壁にある柳城幼稚園は今もヤング先生の意思を引き継いでいるのです。

さて、1953年(昭和28年)に名古屋柳城短期大学はスタートしています。当時は4人部屋の全寮制で、一日が、祈りで始まり祈りで終わる、修道院のような環境だったといいます。初代学長ホーキンス先生はキャンパス内に住まいを構えていたこともあって、学生たちをお茶に招待していました。当時の思い出を「人生の宝物」だと記す卒業生もいます。今年の3月までの卒業生総数は7,810名で、これに保姆養成所を巣立った318名を加えれば、実に8,000名を超える卒業生数になります。さらに、附属幼稚園の卒園生を含めれば、その裾野はもっと広がるわけで、神の愛と諸先輩方のご苦労とご努力にあらためて感謝をしなければなりません。

少子高齢化が進む中、本学の役割はますます大切になってきています。これからも愛と奉仕の業に励みたいと思います。」

●10時40分からは、記念行事の第2部として音楽会「遊べる音楽」を開催しました。

本学院評議員の諸岡研史さん率いるダブルリード・アンサンブル(オーボエ2、イングリッシュホルン1、ファゴット1)による演奏会&トークショーです。演奏や楽器の紹介の後、メインイベントの一つ、モーツァルトの『音楽サイコロ遊び』が披露されました。楽譜が書かれたサイコロを振って、出た目(楽譜)の順に演奏をすると音楽が成り立ってしまうという、何とも不思議な現象でした。二つ目はバロック・ダンスの実演です。講師の手足の動きに合わせて会場全体で体験できました。背筋をピンと伸ばして優雅に舞うことを体験したステージ上の学生さんは「フクラハギが張った」と感想を漏らしていました。このダンス、良い運動になるようです。

●昼からは墓地礼拝に向かいました。チャプレンの礼拝説教は次の通りです。

 

 

 

 

 

 

「ここに眠るマーガレット・ヤング先生はカナダの宣教師でしたので、本来は布教活動が目的で来日をされています。彼女の前後10年くらいの間に約20名の宣教師が日本を訪れていますが、当時はイギリスやアメリカから大量の宣教師が各地に派遣された時代です。特にアフリカに多くが渡りました。あの有名なリビングストンもその一人で、彼に触発されて、多くの青年が宣教活動に燃えたのです。

さて、ヤング先生は来日後、女性や子どもに対する教育の貧弱な状況を見て幼児教育の道に進むとともに、「母の会」を立ち上げて、母親のための勉強会にも精を出すことになります。当時の子どもは手間がかかって役に立たない存在だと見られていました。つまり「半人前」で、大人になって仕事ができるようになって、やっと「一人前」というわけです。そこには、子どもはその年齢に応じて発達を遂げて成長するなどという考えは微塵もありません。

日本の各地にあるキリスト教系の幼稚園や保育園は、たいていは歴史が古く、その地域の社会環境を改善するために貢献してきました。柳城学院118年の歴史の中でも、多くの方がそのような貢献をされています。ここに集う私たちは、祈りを通して、そういった先人達からもらったバトンを次の世代に渡していきたいものです。」

●大いなる神の憐れみを願いつつ、119周年に向けて、神のご計画が私たちによって実現されますように。(加藤)
「 空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。」【マタイによる福音書6:26】

【ローマの信徒への手紙 12:6-7】
わたしたちは、与えられた恵みによって、それぞれ異なった賜物を持っていますから、預言の賜物を受けていれば、信仰に応じて預言し、奉仕の賜物を受けていれば、奉仕に専念しなさい。

前回の礼拝で、キリスト教の洗礼式についてお話ししました。水に中に浸かるとは、いったん「死ぬ」こと、つまり、今までの自分の生き方を変えて、キリスト教の教えに従った新しい人生を歩むことでした。洗礼には無関係な皆さんかもしれませんが、自分自身が変わっていく、自分を変えていくことは大切です。

小学校から大学へと進む中で交際範囲はだんだんと広がるものですが、多彩な人と接することは自分を変える大きなきっかけになります。私自身、大学に入った時、個性的な人々に出会い、自分がつまらない人間だと感じたものです。文科系のくせにアインシュタインの相対性理論を計算してみせたり、24時間で映画を11本観たとか、カミュの『異邦人』の日本語を全部暗記してから原文のフランス語で読み返したりと、本当に刺激的でした。

皆さんのほとんどは、将来、幼児教育か介護福祉の道に進むでしょうが、相手をする人は社会的に弱い立場の人たちです。それらの声をきちんと受け止められるかどうかで仕事の充実度が決まってきます。最初からできなくても、自分を変える柔軟性を持っていれば、そのうちにうまく対応できるようになるでしょう。仕事上の知識や技術と共に、それぞれの個性を活かし切って仕事をしなくてはなりません。そのためにも自分を変えていく姿勢が常に求められます。(チャプレン)

カリブラコア

 

中庭の畑の一隅で昨年育てたひまわりのこぼれ種が発芽し、あっという間に立派な株となりました。

このひまわりは東日本大震災の被災地から譲っていただいた種を山本ゼミの2年生が育てたものです。そのたくましい姿に被災地の復興への願いを新たにしました。

ひまわりの写真はメッセージカードにまとめて、現地に赴いたボランティアの学生たちに託し、現地の皆さんに届けることができました。

とても喜んでいただけたと聞き嬉しく思っています。(山本)

今日は野にあって、明日は炉に投げ込まれる草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことである。信仰の薄い者たちよ。【ルカによる福音書12:28】

この日は、宗教主事の菊地伸二先生の司式による体育館での合同礼拝に続いて、東日本大震災復興支援ボランティアの活動を行っている学生たちの活動報告会が開かれました。2011年の大震災から毎年、学生ボランティアによる被災地支援活動が続けられています。この日の報告会では、今年度実施されている3つの活動が紹介されました。

夏休み期間の8月末に福島県と宮城県の沿岸部を訪れた「現地活動」では、大型の台風が東北地方に迫り、途中で日程を切り上げなければならないような状況で、仮設住宅でのレクチャーや被災地巡礼、公民館での茶話会や幼稚園での保育参加など、さまざまな活動をした様子がスライドとともに語られました。

学生が語った報告全体を通して心に残ったことを紹介しましょう。茶話会ではハンドマッサージや歌などを通じてご高齢の方々との間に親密な交流が生まれたこと。幼稚園では学生の大型ペープサート上演と子どもたちの歌のプレゼントによる交歓を通して、時が経過しても距離が離れていてもこの幼稚園と柳城とが繋がっていることが実感できたこと。被災地では、復興に向けた歩みが進められていますが、そのような時期になったからこそ被災地の方々はこれまで口にされなかった震災の体験を深く語ってくださったこと。

そして、名古屋と東北で、場所は離れていても、被災地の方々と繋がり続けるために、柳城のキャンパスで行われている2つの活動が報告されました。被災地の公民館で行われている茶話会に、毎月ケーキを焼いて送る活動をしている「チーム・パティシエ」の学生たち、そして、被災地の幼稚園や小学校にちなむヒマワリの種を育てて、花を咲かせてきた山本聡子先生のゼミの学生たち。それぞれの活動が、被災地のご高齢の方々、子どもたち、先生方や現地の支援センタースタッフの方々とそれぞれに繋がり続ける活動となっています。

この小さな短大に、被災地支援の種が播かれ、育てられていく中で、私たち自身に大きな恵みがもたらされていることを感じる報告会となりました。(村田)

「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。」
【ローマの信徒への手紙12:15 本年度、年間聖句】

 

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