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天使は言った。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。
(ルカ1:30-32)

保育科の1・2年生の実習が終わって12月に入りました。学生たちが戻ってきたキャンパスはいつもの活気を取り戻しただけでなく、クリスマス・アドベントを迎えて、ふだんとは違った特別な雰囲気が漂うようになりました。

12月2日の日没時に、正面玄関のホールで、田中誠チャプレンの司式のもと、学生と教職員が集ってクリスマス・ツリーの点灯式が行われました。わずかに残った夕日の残照をたよりに聖歌を歌い、いよいよ次第に夕闇が濃くなっていく中で、手にしたろうそくに火を灯すと同時に、ツリーに灯りが点きました。ろうそくの火とツリーの灯りの中で聖歌を歌いながら、一年じゅうでもっとも夜が長く闇が濃くなるこの時期に、闇の中で光が灯り、いのちと希望の輝きが私たちの心に復活するクリスマスの奇跡を感じました。

ツリー点灯式から、柳城短大のアドベントが始まります。手づくりのオーナメント(ツリー飾り)で飾られたクリスマス・ツリーが来校される人を出迎え、学内の至る所に手作りのリースや各国の降誕人形が飾られます。思いがけないところに貼られているアドベントカレンダーを見つけて、毎朝、一番に来た人がその日の窓を開けるという楽しみもあります。図書館ではクリスマス絵本の展示も始まりました。

チャペルでは、アドベントクランツのろうそくが灯り、常緑樹の緑と手づくりのリースが飾られて、主の降誕を静かに待ち望んでいます。そして、毎年恒例となった、柳城短大のクリスマス展がチャペルの礼拝堂で展示されています。キャンドルタワー、サンタクロースの煙出し人形やマトリョーシカ、クリスマス記念の珍しい外国の切手、そして、クリブと呼ばれる各国の降誕人形など、クリスマスを祝う手作りの木の玩具がたくさん展示されています。

チャペルでのクリスマス展は、来年1月6日まで開催されます。見学をご希望の方は、キリスト教センターまでご一報ください。(村田)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

記念礼拝の第2部で、本学の元チャプレンである相澤晃司祭をお招きして、お話を伺いました。

『神様の恵みに生かされたチャプレン時代』というテーマが先ず印象的でした。キリスト教主義学校として「神様の恵み」という発想は決して忘れてはならないと感じます。具体例として、本学の定員増が認可された時や附属幼稚園の誘致を受けた際の経緯が紹介されました。このような歴史を語り継ぐ意志の強さが、学校の実力を示すバロメーターなのかもしれません。

当時の学生さんらと思い出話には心が和みました。「マーガレット会」を中心に学生さんらと親身にお付き合いされた様子も印象的でした。「彼氏がいない」と相談に来る学生へ返答は「未来の彼氏に対して神のお守りをお願いしなさい」でした! 感動です。

チャプレンとしてだけではなく教員としても事務員としても活躍された相澤司祭は柳城を心から愛しておられたのだと、お話を伺って私は強く感じました。「教員、職員、学生の皆さん。1人でいいから、朝、教会の前を通る時にチャペルでお祈りをしてください」という司祭の言葉が心に残ります。(加藤)

彼らに(イエスは)言われた。「こう書いてある。『わたしの家は、祈りの家でなければならない。』」
(ルカ19:46)

2014年10月26日(日)に鶴舞公園で行われた昭和区民祭りに、聖歌隊サークルが参加し、
聖歌を披露しました。曲は、『いつくしみふかき』『あめもみつかいも』『サントサント』の3曲です。
これらは普段、学生たちが本学のチャペルでの礼拝時に歌い慣れて、親しみをもっている曲です。その中でも特に、『サントサント』は柳城生のお気に入りで、今回のステージのために聖歌隊メンバーがピアノ伴奏のアレンジを加えての発表となりました。
メンバー全員がステージに立ちましたので、歌っている時の写真がありませんが、笑顔たっぷりの集合写真は、本番を終えてのホッと一息ついている時の一枚です。(智世)

【マルコによる福音書 第10章13-16節】
13 イエスに触れていただくために、人々が子供たちを連れて来た。弟子たちはこの人々を叱った。14 しかし、イエスはこれを見て憤り、弟子たちに言われた。「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。15 はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」16 そして、子供たちを抱き上げ、手を置いて祝福された。

今週の礼拝では、志村真先生(中部学院大学短期大学宗教総主事)に、「子どもの友イエス」と題する奨励をしていただきました。

学生に直接、親しみをこめて語りかける志村先生のあたたかい口調が印象的でした。そして、語っていただいたお話は、それ以上に深く印象に残るものでした。お話は、志村先生が小学生のときのエピソードからはじまりました。学校で、「良寛さん」の劇を子どもたちが上演し、志村先生ご自身が良寛さんの役をされたそうです。子どもたちと一緒に毬つきやかくれん坊をして遊ぶ良寛さんの姿の背後には、当時の農村の子どもたちを取り巻く過酷な社会環境がありました。

志村先生が語られる良寛さんの姿が、福音書に「子どもの友」として描かれたイエス様の姿に重なり、イエス様が生きた時代、子どもたちを取り巻く状況がいかに過酷なものだったかが語られました。乳幼児死亡率が非常に高かった時代です。当時の遺跡から出土した遺骨が語る、子どもの餓死、戦争による死、出産途中で亡くなった妊婦と赤ちゃん… チャペルは静まり返りました。志村先生は、イエス様が友としたのは、そのような時代の、そのような子どもたちだったことを語られました。

弟子たちが子どもたちを遠ざけたのを見て、弟子たちをお叱りになったイエス様は、その子どもたちを一人ひとり、腕の中に包み込んで抱き上げ、そっと降ろして祝福します。その様子を、志村先生は、福音書の言葉の意味を読み解き、イエス様のしぐさも交えながら語られ、最後に、「福音書はイエスを子どもの友として描いている」というジョン・キャロルの言葉を紹介してくださいました。(村田)

 

聖書箇所:ルカによる福音書 第9章46-48節

弟子たちの間で、自分たちのうちだれがいちばん偉いかという議論が起きた。
イエスは彼らの心の内を見抜き、一人の子供の手を取り、御自分のそばに立たせて、
言われた。「わたしの名のためにこの子供を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。わたしを受け入れる者は、わたしをお遣わしになった方を受け入れるのである。あなたがた皆の中で最も小さい者こそ、最も偉い者である。」

今日の礼拝では、平松ちづ代先生にお話していただきました。この3月まで、附属幼稚園の園長を務めておられた平松先生は、本学の卒業生でもあり、後輩である学生たちに向けて親しみのこもった口調で、お好きな映画のことや童話のことを学生たちに語りはじめられました。そして、柳城の学生だった頃のことを話され、寮で生活しておられた同級生の学生生活の様子などに聞き入っているうちに、お話は自然と保育と幼児教育にとって大切なこととは何かというところまで深まっていきました。そして、柳城の建学の精神に触れられ、保育者が愛をもって子どもにに仕えるということと、その意味について語ってくださいました。保育者は、神様の愛、イエスの愛を担って、子どもたちに伝えていくという仕事をすることです、という平松先生のお言葉に、新鮮な光に照らされたような思いを抱きました。(村田)

【詩編121:1-3】
(都に上る歌)目を上げて、わたしは山々を仰ぐ。わたしの助けはどこから来るのか。
わたしの助けは来る/天地を造られた主のもとから。
どうか、主があなたを助けて/足がよろめかないようにし/まどろむことなく見守ってくださるように。

2年生にとって学生生活最後の夏休みになります。

社会人になるとこうした長期に自分の自由になる時間はありません。是非自分で計画を立てて心身共に自分の成長につながるように時間を有効活用してください。また、夏は海や山といった自然に親しむのに絶好の機会です。私も先日子どものキャンプに山に行きましたが、ハイキングで歩いていると鶯の声が聞こえ、バッタやカニが見られました。また川の中で遊んだ時は流れの水の抵抗感や川床の不安定感などを感じました。こうした環境で自然を味わうことで、普段は感じることのない自然と人間が共生していることの大切さがわかります。

またこうした時にこそ聖書の言葉、が実感できます。人は自然とともに生きていること、見守られていることが感じられれば最高です。(チャプレン)

 

【ガラテアの信徒への手紙3:26 -28】
あなたがたは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです。
洗礼を受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆、キリストを着ているからです。
そこではもはや、ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです。

皆さんは日常生活で男女平等について考える時がどのくらいあるでしょうか。

今は学生として女性が圧倒的に多い日常です。また幼稚園や保育園も教職員は女性が中心の職場です。しかし、広く世の中全体を見てみると男性中心の考えをしている環境が圧倒的に多いことに気が付きます。先日も都議会の会議の中で品のないヤジが女性の議員の発言中にありましたが、これなども男性優位の議員構成だからこういう発言が出てくるのだと思います。

第二次大戦後日本は男女平等の社会になりましたが、国会議員で女性の数が一番多かったのは戦後最初の選挙だったということが長らく続きました。数年前の小泉首相の時にやっと破られたのでした。つまり女性が意識して女性の議員を増やそうとしてこなかったのです。世界では、女性がもっと社会全体の様々な決定にかかわるべきだという考えが強くなっています。ですから女性の国会議員の数は多い国では40パーセントを超えています。日本は10パーセントに満たないで160ぐらいの国の中で126位ぐらいです。

本当に男女が平等になっていくためには、こうした面から社会が変わっていかなければなりません。皆さんがこれから社会人として活躍していくときにこうしたことも忘れないでください。(チャプレン)

【ローマの信徒への手紙3:3-4】
それはいったいどういうことか。彼らの中に不誠実な者たちがいたにせよ、その不誠実のせいで、神の誠実が無にされるとでもいうのですか。
決してそうではない。人はすべて偽り者であるとしても、神は真実な方であるとすべきです。「あなたは、言葉を述べるとき、正しいとされ、/裁きを受けるとき、勝利を得られる」と書いてあるとおりです。

学期末になって試験やレポートに毎日追われて大変な思いをしていると思います。

こうしたことは一時の忍耐としてやり過ごしてしまうのか、それをこなしていく中で忍耐強く自分のものにして成長につなげていくかによって人は大きく変わっていきます。苦難は精神的なものは見えないので理解しにくいですが、肉体的なことは結果が見えやすいということがあります。ですからスポーツ選手の努力の話を聞くことは大いに参考になります。野球やサッカーの選手また最近ではテニスの錦織圭選手の話に感心させられました。

自分の武器は何か、相手の弱点は何か、体力がないと続かない。一度できたことは繰り返してできるようにする。こうしたことは勉強でも対して変わりません。課題をきちんと理解して何をどのようにしたらよりうまくいくのかを考えてから始めることです。

学校は時間の区切りがあります。同じ悩みを共有する友人がいます。苦難を忍耐し練達から希望へとつなげていってください。(チャプレン)


司式団が入場して、礼拝がスタートします。

 

渋澤理事長(左)と新海学長(右)の式辞です。

 


永年勤続者を表彰をします。

 


本学の成績優秀者を表彰し、特別給付奨学金を支給します。

 

「創設者マーガレット・ヤングの生涯とその働き」について振り返りました。

 


上のスライド上映を担当した専攻科保育専攻1年の学生さんです。お疲れ様。

 


式典の後、名古屋市の八事霊園で墓地礼拝を行います。

 


尾上先生から故人の紹介がありました。

 


最後に、1人1人が献花をしてお祈りを捧げます。

 

 

名古屋在住のゴスペルシンガー江崎理子さんをお迎えして大学礼拝を行いました。

この企画、聖公会の聖歌集から482番(いつくしみふかき)と561番(サントサントサント)を理子さんにゴスペル風にアレンジしていただき、それらを練習した上で礼拝に臨むという内容でしたが、学生も教職員も彼女の素晴らしいリードに完全に酔わされた感じでした。普段とは違った雰囲気の礼拝は学生さんにとっては貴重な経験であったろうし、何よりも、抑圧されていた奴隷黒人の魂の叫びをルーツとするゴスペルの存在意味みたいなものを、体全体で感じる事ができたのではないかと思います。

理子さんの姿を通して、ハートに語りかける音楽の威力を保育現場で役立てたいという強い気持ちが学生さんの心に芽生えてくれば、企画担当者としては嬉しい限りです。(加藤)

新しい歌を主に向かって歌え。全地よ、主に向かって歌え。(詩編96:1)

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